ロベルト・シュテルル
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現在はドレスデンの一部となっているグロースドブリッツ(Großdobritz)の石工の息子に生まれた。1881年から1888年の間、ザクセン王国の王立美術アカデミー(Königlichen Akademie der bildenden Künste、後のドレスデン美術大学)で学び、レオン・ポーレ(Leon Pohle: 1841-1908)やユリウス・ショルツ(Julius Scholtz: 1825-1893)に学び、フェルディナンド・パウウェルス(Ferdinand Pauwels: 1830-1904)の修士学生になった。
1887年から風景画家、肖像画家、イラストレーターとして働き、ドレスデンのスタジオで女性向けの私立の絵画学校を運営した。 1894年に「芸術家協会(Vereins bildender Künstler)」の創設メンバーになった。1897年に結婚した。1905年に美術家集団「Die Zunft」の共同創設者となった。1904年に王立美術アカデミーで教え始め、1906年に教授の称号を得て、1931年までアカデミーで教えた[1]。ドイツ美術協会(Deutschen Künstlerbundes)の初期からのメンバーであった。1909年に、ベルリン分離派の特別メンバーに選出された。第一次世界大戦中は戦争画家を務めた[1]。
1919年にゼクシッシェ・シュヴァイツ゠オスターツゲビルゲ郡のナウンドルフ(Naundorf)に邸を買って暮らした。1932年にナウンドルフ で没した。
肖像画や印象派のスタイルで、働く人々や農民の生活を描いた。ナチスが政権を取った後の1937年に、シュテルルの作品は「退廃芸術」に指定され、ノイエ・マイスター絵画館が所有していた2点の作品は没収された。東ドイツの時代には高く評価されていた。シュタールを顕彰するための財団が作られ、財団は1997年に美術学生を表彰する「ロベルト・シュテルル賞」を創設した[2]。
作品
- 農家の少年 (1892)
- エルベ川の浚渫船(1905)
- 指揮者アルトゥール・ニキシュの肖像画 (1910)
- 2羽の七面鳥を持つ農夫 (1912)
- 石割労働者 (1911)
- 工場労働者(1914)
- 牛の一群