ロマン・グレボヴィチ (ノヴゴロド公)
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1293年のジョチ・ウルス軍の襲撃(ru)、同年のウラジーミル大公国のアンドレイによるウラジーミル、ノヴゴロド支配の後すぐに、ロマンはアンドレイの依頼を受けて[1]、スウェーデン王国軍の建設したカレルィ人(ru)の地の要塞への遠征軍を率いた。しかし雪解けと馬の飼料の欠乏のために、ルーシ軍は撤退を余儀なくされた。
ノヴゴロド公位に就いた年は不詳であるが、L.ヴォイトヴィチの説によれば、ロマンは1293年までノヴゴロド公だったという[2]。また年代記によれば、1284年からノヴゴロド公にはドミトリーが就いている[1]。
1300年、兄のアレクサンドルと共に、ドロゴブージの包囲戦に参加した。しかしブリャンスク公アンドレイの援軍が到来し、ロマンら兄弟の軍は敗れた。