ローベルト・フランツ
From Wikipedia, the free encyclopedia

1815年ドイツのハレにて生まれる。1835年から1837年までデッサウのフリードリヒ・シュナイダーに作曲を師事。1837年に生地に帰郷し、1841年にウルリヒ教会のオルガニストに就任。1842年にジングアカデミーの指揮者に、1859年には大学の音楽監督に就任した。1843年に最初の歌曲集を出版。この頃より聴覚に異常を来たす。1867年には、難聴と神経衰弱のために、ついにすべての公職を断念せざるを得なくなる。フランツは、とりわけシューマンやフランツ・リストと親交があった。1885年には古希を記念して、生地ハレの市議会より名誉市民の称号を贈られた。1892年デッサウにて死去。没後10周年の1903年には記念碑が建立され、フランツの氏名にちなんだ通称が街路に付けられた。
