ローランド・ハナ
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ハナは11歳からクラシック・ピアノを学んでいたが、友人のピアニストであるトミー・フラナガンから教えられたジャズに強い関心を持っていた[2]。この関心は、1950年から1952年にかけて兵役に就いた後、さらに高まっていった。1953年にイーストマン音楽学校で短期間勉強し、2年後にニューヨークへ引っ越してジュリアード音楽院に入学した[2]。1950年代にベニー・グッドマンやチャールズ・ミンガスを含む幾人かの有名人たちと仕事をしつつ、1960年に卒業を迎えた[2]。1963年から1966年の間、ハナは自分のトリオを率い、1966年から1974年まで、サド・ジョーンズ/メル・ルイス・オーケストラの正メンバーとなった[2]。ハナはまた、1972年にこのオーケストラでソビエト連邦をツアーした[3]。1970年代には、ニューヨーク・ジャズ・カルテットのメンバーを務めている。
ローランド・ハナは1980年代のほとんどを半引退していたが、サラ・ヴォーンの1982年のアルバム『枯葉』の曲「Seasons」を書き、ピアノを弾いており、10年を経た後に音楽界へと戻ってきた。1980年代後半から1990年代初頭にかけて、ハナはリンカーン・センター・ジャズ・オーケストラと、スミソニアン・ジャズ・マスターワークス・オーケストラのメンバーを務めている[2]。この頃、彼は室内楽とオーケストラ音楽の作曲もするようになった。また、彼が書いたバレエが上演された[3]。なお、この頃にミンガス・ダイナスティのメンバーも務めている。
1970年、ハナはリベリアのウィリアム・タブマン大統領から、教育のための資金を調達すべく国内で演奏したコンサートが認められ、名誉騎士の称号を授与された[2][4]。それからのハナは、しばしば「サー・ローランド・ハナ」として知られる存在となった。ハナはニューヨークのフラッシングにあるニューヨーク市立大学クイーンズ校(CUNY)のアーロン・コープランド音楽学校でジャズの教授を務め、他のいくつかの音楽学校でも教鞭をとっていた[2]。彼はニュージャージー州ティーネックの居住生活者であった[5]。