ローラン・ヴィデル
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ローラン・ヴィデルは、1558年に『プロヴァンス州サロン・ド・クローのミシェル・ノストラダムスの誤謬・無知・煽動の告発』を出版している。また、1559年と1560年に占星術師クロード・ファブリと共同で暦書を出版したことも、ローヌ県立古文書館に現存する特認記録から明らかになっている[1]。しかし、これ以外の伝記的事実は全く不明である。
同時代の書誌学者ラ・クロワ・デュ・メーヌの書誌でも、ヴィデルはノストラダムスを批判する書を出した人物としか触れられていない。
19世紀のミショーの人名辞典では、ルイ・ヴィデル(Louis Videl)の項目に「ノストラダムスに反対する最初の書を著した」とあり、ローラン・ヴィデルとルイ・ヴィデルが同一人物であることが示されている[2]。ルイ・ヴィデルはブリアンソンの医師の子で、フランス大元帥フランソワ・ド・ボンヌ・ド・レディギエール(fr)の秘書を務めた人物である。この見方を19世紀のウジェーヌ・バレストが不正確に伝え、エドガール・ルロワも踏襲していたが[3]、ルイ・ヴィデルの生年は1598年のため、計算が合わない。アドルフ・ロシャの『ドーフィネ人物伝』(1860年)では既にローラン・ヴィデルとルイ・ヴィデルを混同すべきでないことが示されており[4]、オリヴィエ・ミレも別人であるとしている[5]。