ワット・マハータート (ルアンパバーン)

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ワット・マハータート本堂

ワット・マハータート(ラーオ語:ວັດມະຫາທາດ 英語:Vat Mahathat)は、ラオスの世界遺産都市である旧王都ルアンパバーン位置する、副王家との深い関わりのある上座部仏教寺院である。意味は大仏塔寺。正式名称はワット・マハータート・ラサボーヴォーラヴィハーン(ラーオ語:ວັດມະຫາທາດຣາຊະບໍວໍຣະວິຫານ 英語:Vat Mahathat Rasabovoravihan)である。地元では建立後にアンパバーンの他の寺院により大きな仏塔が建てられたため、ワット・タート・ノーイ(ラーオ語: ວັດທາດນ້ອຍ、「小さな仏塔の寺」)と呼んでいる[1]。隣接する寺院ワット・ホーシアンと多くの機能を共有しており、ルアンパバーンで最も活発な寺院の 1 つである[2]

本堂の建築様式はユネスコの分類によれば「ルアンパバーン様式III」に属する。現在、大仏塔や本堂、歴史的な3つの僧房(ラーオ語: ກຸຕິ)などは、ユネスコの世界遺産「ルアン・パバンの町」として登録・保存されている。

1548年にセッタティラート王によって本堂や大仏塔(パ・マハータート)(ラーオ語: ພຣະມະຫາທາດ)」が建立された[1]。建立には、チェンマイラーンナー王国)出身の王女であった王の祖母(大王太后)(Phra Raja Ayada Deva)が中心的な役割を果たした[3]。彼女は、亡きポティサラート王の追善供養を目的としてこの寺院を建て、その遺骨の一部を仏塔に納めたと考えられている[4]

建立に際して大王太后がチェンマイから多くの職人を連れてきて周辺に住まわせたことから、この寺院の周辺地区は歴史的に王室御用達の銀細工師コミュニティの拠点となった。現在でもルアンパバーンの銀細工の伝統を守る職人たちがこのエリアに集まっている[4]

1900年4月23日の夕方、人々が夕べの祈りのために集まっていた時、大嵐が襲い屋根が崩落し、数人の僧侶が亡くなった[5]。 その後、この寺院は1910年に前宮 の総督であったブンコン副王によって再建された[5]。最近の修復は2000年代に実施された[2]

仏教都市ルアンパバーンのすべての寺院と同様に、ワット・マハータートは、僧侶や沙弥と、サンガを支える周辺の町の信者コミュニティとの間の重要な接点となっている。寺院は、宗教儀式や祭礼、社会行事、授業など、数多くのコミュニティ活動の中心地である[1]

立地

ワット・マハータートは、かつての王都の中心でありラーオ仏教の中心地でもあるファーグム通りの低い斜面に位置している。この寺院に隣接する地区はワット・タート村(ラーオ語: ບ້ານວັດທາດ)として知られている。かつてワット・マハータートは、ルアンパバーンの南部に位置する寺院群、いわゆるカナッタイ(ラーオ語: ຄະນະໃຕ້)の主要寺院であった[1]。この場所は町の土台(ターン・ムアン)(ラーオ語: ຖານເມືອງ)とも呼ばれている[1]

場所:北緯19度53分14秒 東経102度07分57秒 / 北緯19.8873027度 東経102.1324477度 / 19.8873027; 102.1324477座標: 北緯19度53分14秒 東経102度07分57秒 / 北緯19.8873027度 東経102.1324477度 / 19.8873027; 102.1324477

副王の庇護

20世紀の間、ワット・マハータートは副王(前宮)(ラーオ語: ວັງໜ້າ)とその家族の寺院と見なされ、王室の庇護下にある寺院であった。対照的にワット・タート・ルアンは(王宮)と歴史的に結びついている[6]。1900年の激しい嵐によって本堂が破壊されたが、1910年に当時の住職パンと副住職クンが協力し、副王ブンコンの支援を受けて現在の姿に再建された[1]。副王一族の墓である仏塔が置かれている。

建築と装飾

本堂

ワット・マハータート本堂の荘厳な破風装飾

建築様式は、ユネスコの分類によれば「ルアンパバーン様式III」に属する。この様式は、本堂(シム)の内部に独立した柱を持たない広い空間を特徴とし、屋根は重層的で低く、優雅な曲線を描くのが一般的である[7]

ナーガの階段

ワットマハータートのナーガの階段

本堂の入り口にある精巧なナーガ(蛇神)の彫刻が施された階段は、ルアンパバーンを代表する高名な芸術家であるピア・タン(1919–2000)の代表作として広く認められている[7]

大仏塔

ワット・マハータートの大仏塔(パ・マハータート)

この仏塔の最大の特徴は、ラーンナー文化(チェンマイ様式)の影響を色濃く反映している点です。設計にあたっては、チェンマイにあるワット・ローク・モーリー(タイ語:วัดโลกโมฬี)の仏塔に似た「城郭型」のデザインが採用されている[4]

副王一族の仏塔(墓)

この寺院の境内にある一族の仏塔(ストゥーパ)には、ラオスの近代史を象徴する重要な王族の遺骨が納められている[5]

ペッサラート公・スワンナプーマ公の遺骨が納められている仏塔

ペッサラート・ラッタナウォンサ公(Prince Phetsarath)

「ラオスの鉄の男」として知られる伝説的な副王ペッサラートの仏塔(墓)が置かれている。1945年の独立運動「ラーオ・イサラ」の指導者であり、植民地行政におけるラオス人最高位の役人であった。1959年10月14日逝去。

スワンナ・プーマ公(Prince Souvanna Phouma)

ペッサラートの弟であり、長年ラオス王国政府の首相を務めたスワンナ・プーマの仏塔(墓)も置かれる。1984年1月10日にヴィエンチャンで死去した後、国葬を経て遺骨がルアンパバーンに運ばれ、ワット・タートにある一族の仏塔に納められた。

住職

祭り

参考文献

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