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ワナダイズ

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活動期間 1988年-2009年(再集結:2016年)
2020年-
レーベル クッキング・ヴァイナル、RCA、Indolent Records、ソニーBMG、MNW、Snap、National、Hot Stuff
ワナダイズ
出身地 シェレフテオ、スウェーデン
ジャンル オルタナティヴ・ロック、 パワー・ポップ
活動期間 1988年-2009年(再集結:2016年)
2020年-
レーベル クッキング・ヴァイナル、RCA、Indolent Records、ソニーBMG、MNW、Snap、National、Hot Stuff
メンバー パール・ウィクステン
クリスティーナ・ ベルグマルク
ステファン・シェーンフェルト
フレドリク・シェーンフェルト
エリック・ダールグレン
旧メンバー グンナー・カールソン
ビョルン・マルムクイスト

ワナダイズ(The Wannadies)は1988年に結成されたスウェーデン北部のシェレフテオ出身のオルタナティブ・ロックバンド[1]。 初期メンバーは、パール・ウィクステン(ボーカル、ギター)、クリスティーナ・ ベルグマルク(1969年3月1日生まれ)(ボーカル)、ミッケ・ヘルストレーム(キーボード)、ステファン・シェーンフェルト(1965年6月5日生まれ)(ギター)と弟のフレドリク・シェーンフェルト(ベース)、グンナー・カールソン(ドラム)、ビョルン・マルムクイスト(バイオリン)。

初期(1988年-1993年)

ワナダイズは1988年10月にニカラグアのサンディニスタ民族解放戦線を支援するフェスティバルで最初のコンサートを行い、その数週間後に最初のリリースとなる3曲入りのEP「Smile (ワナダイズのEP)(英語版)」を地元のスタジオKNで録音した。

「Smile (ワナダイズのEP)(英語版)」は1989年2月にリリースされ、ほとんどマーケティングが行わなかったにも関わらず全国紙で「今週のシングル」として評価され、「Bommen」などのインディーズラジオ番組で放送された。1989年8月のハルツフレッド・フェスティバル(英語版)での出演をきっかけにMNWレコード(英語版)と契約、デビューシングル「My Hometown」を翌年5月にリリースした。

バンド名と同じデビューアルバム「ワナダイズ(英語版)」を1990年8月にリリース[2]、スウェーデン、フィンランド、ノルウェーでツアーを行った。1991年にパリで行われた北欧音楽フェスティバルでは、フィンランドの22-ピステピルコ(英語版)、アイスランドのシュガーキューブスと共演した。

1992年10月に セカンドアルバム「アクアノーティック(英語版)」をMNWレコード(英語版)のインディーレーベルであるSnap Recordsからリリースした[2]。議論の余地が無くはないが、アルバムからのシングル「Things That I Would Love to Have Undone」と「Cherry Man」のビデオについて、前者は泡状の動物の死体が映し出されること、後者は幼い少女や少年に囲まれた中年男性が歌詞とビデオの両方で扱われ小児性愛を暗示していることが問題とされ、MTVで放送禁止となった。

1993年の夏にビョルン・マルムクイストはストックホルムに移住、バンドを脱退した(ただし、ワナダイズの次のアルバムの曲「Dreamy Wednesdays」にバイオリン奏者として参加した)。

「Be a Girl」とイギリスでの成功(1993年-1996年)

サードアルバム「Be a Girl(英語版)」の初期のレコーディング作業は上手く進まなかった。最初のプロデューサーであるダゲ・ルンドクヴィストは1993年後半に育児休暇を取り、ミッケ・ヘルストレームをプロデューサーとした二度目の取り組みも、最初のエンジニアであるアダム・クヴィマン、ついでヘルストレームが聴覚障害を患ったため断念せざるを得なかった。

ミッケ・ヘルストレームのプロデュースのもと唯一完成した「Love in June」をシングルとしてリリース、ニレ・ペーネッドをプロデューサーとして「Be a Girl(英語版)」のレコーディングに再び取り組んだ。1994年後半、遂にアルバムが完成し、二枚目のシングル「You and Me Song(英語版)」とともにリリース、母国の批評家に賞賛された。その少し後にイギリスのIndolent Records(英語版)がワナダイズに興味を持ち、1995年夏に契約を結んだ。すぐにバンドとしてイギリスでの最初のギグが行われ、同年秋のカムデン・タウンのダブリン・キャッスル(英語版)での公演はソールドアウトとなった。

冬の間、広範囲のツアーを行い、同じレーベルのスリーパー、60 Ft. Dolls(英語版)や、ライトニング・シーズ、ブラック・フランシスらと共演した。並行して、定期的にヨーテボリ、シェレフテオ、ストックホルムのスタジオを訪れ、再びプロデューサーのニレ・ペーネッドとともに次のアルバムの録音を行った。

その後「Be a Girl(英語版)」からシングル「Might Be Stars」、「How Does It Feel?」をリリースしたが、バンドとしてイギリスで大きな話題となったのは、1996年4月に「You and Me Song(英語版)」を再リリースしたことがきっかけで、全英シングルチャートで最高18位を記録した[2]。後にこの曲はバズ・ラーマンの1996年の映画「ロミオ+ジュリエット」の公式サウンドトラックに収録され、さらに人気が高まった。

苦難の時代(1997年-1999年)

スウェーデンのレコード会社MNWレコード(英語版)との問題でリリースが遅れた4番目のアルバム「Bagsy Me(英語版)」(スウェーデンの子供が使う「Pax Jag!(早い者勝ち!)」の翻訳)は最終的に1997年1月にソニーBMGからリリースされた。アルバムにはヒットしたシングル「Someone Somewhere」、「Friends」、「Hit(全英シングルチャートで20位になった)」、「Shorty」が収録された。映画「ロミオ+ジュリエット」の成功を受けて「You and Me Song(英語版)」も収められた。後に、アルバムの改訂版(収録曲2曲を「Be a Girl(英語版)」からのシングル2曲に置き換えたもの)が「ワナダイズ(英語版)」のタイトルでアメリカでリリースされた。

続く数年はバンドにとって激動の時期だった。1997年の春にドラマーでありオリジナルメンバーのグンナー・カールソンが脱退、バンドの長年の友人であるエリック・ダールグレンに交代した。

スウェーデンのレコードレーベルとの問題を整理した後、イギリスのソニーBMGのサポート不足に問題があると考えてストライキを行った。最初の3つのアルバムからバンドメンバーが選んだベスト曲を集めた「シェレフテオ (アルバム)(英語版)」というタイトルのコンピレーション・アルバムを1998年の春にスカンジナビアでリリース、ソニーBMGとの問題が解決するまで、サポートとしてこの地域でツアーを行った。

レーベルとの関係が十分に改善されたことから、1998年の秋に次のアルバムのレコーディングのための10日間のセッションを、プロデューサーのマイク・ヘッジズ(英語版)と共にフランスのノルマンディーのChateau De La Rouge Motteスタジオで開始した。

そのときは「String Song」のみが完成しただけで、5番目のアルバム「Yeah (ワナダイズのアルバム)(英語版)」に収録する曲のレコーディングには1998~1999年の冬までを要した。元カーズ (バンド)のフロントマンであるリック・オケイセックのかじ取りのもと、ニューヨークのエレクトリック・レディ・スタジオでレコーディングを開始、その後、ストックホルムとロンドンのスタジオで作業を続けた。

「Yeah (ワナダイズのアルバム)(英語版)」は1999年の秋にスカンジナビア、2000年の春にイギリスでリリースされた。ソニーBMGは同アルバムをアメリカではリリースしないことを決定したが、他のレーベルからのリリース許諾を拒み、最終的にバンドとの契約を解除した。

その後の状況とメンバーの脱退

レコード会社に所属していない状況にも関わらず、2000年の夏に集中的にツアーを行い、イギリスではグラストンベリー・フェスティバル、レディング・フェスティバル、デンマークではロスキレ・フェスティバル、スウェーデンでは、フルトフレード・フェスティバル(英語版)、アルビカ・フェスティバル(英語版)に参加し、日本でミニツアーを行った。

2000年の後半と2001年の大部分にかけて自身のレコーディングスタジオを建設、6枚目のアルバムの大部分のレコーディングを行った。

再びニレ・ペーネッドをプロデューサーに迎え、「Before & After (ワナダイズのアルバム)(英語版)」をスカンジナビアでは2002年にナショナル・レコード(英語版)から、イギリスでは2003年9月8日にクッキング・ヴァイナル(世界のその他の地域への流通も担当)からリリースした。アルバムにはシングル曲「Skin」、「Disko」、「Little by Little」が収録された。

2003年にイギリスの長寿テレビドラマ「コロネーション・ストリート」の、リチャード・ヒルマンが運転する新妻のゲイル・プラットとその家族を載せた車が運河に突っ込む(この事故でリチャードは死亡)エピソードのクライマックスで「You and Me Song(英語版)」が使用された。その後、2007年には、リチャードの義理の息子であるデビッド・プラットが同じ運河に車で突っ込み自殺を図るが生き残り、妹のサラの結婚式を台無しにするエピソードでも使用された。

2005年にBBC Threeのテレビシリーズ「I'm with Stupid(英語版)」で「You and Me Song(英語版)」が使用された。

7番目のアルバムのための曲作り、レコーディング、20曲入りのベストアルバム製作準備中と思われていたが、2009年4月、パール・ウィクステンのソロ活動に伴い解散した[3]。

解散から7年後の2016年の8月30日、9月2日に再集結して、ヒット曲「Friends」と「Hit」をフェスティバルで演奏した[4]。

新曲と再結成の発表(2020年)

「Before & After」のアナログレコ―ド発売に合わせて、2002年以来初の新曲をリリースすることが発表された。シングル「Can't Kill The Musikk」は2002年のアルバムに続くセッションで製作を開始したが、2020年まで完成しなかった。このシングルは2020年9月3日にリリースされ、B面にはライブバージョンの「My Home Town」を収録している。

2020年10月6日、再結成してライブを行うことを発表した。2021年3月にスウェーデンで3公演を行う予定で、新たなプレス写真が公開された。その後、母国以外でのライブも予定されている。

2026年4月、26年ぶりの来日公演を大阪・梅田クラブクアトロ、東京・渋谷クラブクアトロで行った[5]。

ディスコグラフィ

脚注

外部リンク

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