1656年に、白人入植者から弟メタコメットと共に「アレキサンダー王」と「フィリップ王」のあだ名をつけられた。白人は入植地を拡大して行こうとしていたので、ワムスッタは父マサソイトが白人と築いた同盟を維持するのは微妙な状態に置かれていた。そしてイギリス人は植民地問題を解決するため、1662年プリマスのイギリス当局はワムスッタをプリマス入植地に呼び出した。白人は「大酋長」のワムスッタと盟約すれば、ワンパノアグ族全員がこれに従うだろうと考えたからである。
ワムスッタはインディアン文化の基本である、合議の話し合いの中で、白人がかつて父との間で結んだ条約に異議があるとイギリス当局に申し出た。インディアンから見れば、マサソイトが結んだ「条約」は、あくまでマサソイトと白人の個人的な取り決めである。またインディアンに「土地を売り買いしたり譲渡する」という文化は存在しなかったので、そもそも彼らはこの条約を理解していなかった。
しかしワムスッタはプリマスでの間に病気になり、村に帰る途中に謎の死を遂げてしまう。ワンパノアグ族側は白人がワムスッタを毒殺したと主張し激しく怒った。ワムスッタの死で弟のメタコメットが新酋長になり、部族員は合議の結果、白人に対して戦いを挑んだ。白人はメタコメットを「首謀者」だと誤解し、これを酋長の渾名を採って「フィリップ王戦争」と名付けた。「フィリップ王戦争」の原因は、白人のインディアン文化に対する無理解である。