ワルサー
ドイツの銃器メーカー
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歴史
1886年にカール・ヴァルターが設立した[1][2]。当初の社名はカール・ヴァルター GmbH スポーツヴァッフェンで、ドイツのツェラ・メーリスにある小規模な工場で猟銃や標的射撃用の銃器を製造していた[2]。
1908年からは、カールの長男であるフリッツ・ヴァルターの主導により拳銃開発にも参加。ワルサーナンバーシリーズと呼ばれるブローバック式自動拳銃を開発した[1][2]。1915年に創業者のカールが死去し、フリッツが跡を継いだ[1]。
第一次世界大戦で敗戦したドイツはヴェルサイユ条約で兵器製造が厳しく制限されたが、ワルサー社は小型拳銃メーカーであったため大きな制約は受けず、1920年には生産を再開できた[1]。1920年代からは製品を多角化し、散弾銃や信号拳銃の開発も手掛けた[1]。さらに機械式計算機の分野にも進出し[1]、電子計算機が登場する頃まで生産を続けていた。
1929年、現在でも有名な初期の大成功作であるワルサーPPを開発[1][2]。ドイツ国内でも有数の拳銃メーカーとして名を馳せるとともに、政権や軍との関係を深め、ヴェルサイユ条約下で禁止されていた軍用銃の開発も秘密裏に行った[1]。1938年には、同じく現在でも有名なワルサーP38がドイツ国防軍制式拳銃の座を獲得したほか、自動小銃の開発なども手掛けている[1][2]。
しかし、第二次世界大戦によりワルサー社の工場は破壊されてしまう。戦後、ワルサーの工場があったツェラ・メーリスはソ連軍の占領地域とされたことから、ヴァルター家と側近は図面をもって西側占領地域に脱出した[2][3]。
冷戦が始まり、1950年代から西ドイツでの武器製造が徐々に許されるようになると、スプリング銃や空気銃の製造を始めて銃器メーカーとして復活、さらに西ドイツ軍や警察向けの拳銃製造も開始した[2][3]。1960年代には、結果的には同社が量産した唯一の短機関銃となるワルサーMPを開発したが、あまり成功作とは言えなかった[3]。
P38以降は長らくヒット作がなく、1992年にはH&K社のUSPに代替されてドイツ軍制式拳銃メーカーの座も喪失、1993年からはエアソフトガンを含む、玩具を主力製品とするウマレックス社の傘下に入った[3]。
1999年には、アメリカのS&W社とアメリカへの銃器輸入の独占契約を結んだ[2]。2012年にアメリカのアーカンソー州フォートスミスを拠点とするワルサー・アームズ社を設立し、アメリカ国内での製造を開始[2]。ヨーロッパにあった製造設備も徐々にアメリカに移転していった[2]。
