ワーキング・ウィーク
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| ワーキング・ウィーク Working Week | |
|---|---|
| 出身地 |
|
| ジャンル | スムーズジャズ |
| 活動期間 | 1983年 - 1991年 |
| レーベル | Paladin、ヴァージン・レコード、10 records |
| 共同作業者 | ウィークエンド |
| 旧メンバー |
サイモン・ブース ラリー・スタビンス ジュリエット・ロバーツ |
ワーキング・ウィーク(Working Week)は、1980年代と1990年代に活動したイギリスのジャズ・ダンス・バンドである[1]。
ワーキング・ウィークは、ウィークエンドがボーカルのアリソン・スタットンの脱退と教師への転身によって活動を終了したのち、ギタリストのサイモン・ブースとサックス奏者のラリー・スタビンスが1983年に結成した。2人は、翌年にデビュー・シングル「Venceremos (We Will Win)」(ベンセレーモス)をリリース。この曲はチリの社会変革を目指した歌手ビクトル・ハラに捧げたもので、ロバート・ワイアットとエヴリシング・バット・ザ・ガールのトレイシー・ソーンをボーカルに迎えている。それが、64位まで達した全英シングルチャートにおけるバンド唯一のチャートイン曲となった[2]。シングルには、ロンドン・スクール・オブ・サンバの創設メンバー、ボスコ・デ・オリベイラとドーソン・ミラーらが参加した。グループの他の初期メンバーもバンドと一緒に演奏を行った。
デビュー・アルバムの『ワーキング・ナイツ』は、ボーカリストのジュリエット・ロバーツが正式なメンバーとして加わり、1985年4月にリリースされた。LPの初回盤には、ラスト・ポエッツのジャラール・マンスール・ナリディン(別名:ライトニン・ロッド、誕生名アラフィア・プディン)が参加した12インチのボーナス・ディスクが付属した。ロバーツは1986年のアルバム『コンパニェロス』と1987年にリリースされた『サレンダー』においても引き続きシンガーとして活動したが、その年のシングル「Knocking on Your Door」の発表後にバンドを脱退した。ジュリー・ティペッツが1989年のアルバム『ファイアー・イン・ザ・マウンテン』にてボーカリストとして復帰を果たし、エイヴォン・ウェイト (Eyvon Waite)がバンド最後のスタジオ・アルバムである『ブラック・アンド・ゴールド』(1991年)のソロ・ボーカリストを務めた。
ワーキング・ウィークは、1986年2月9日にロイヤル・アルバート・ホールで開催された、コロンビアで起こった1985年のアルメロの悲劇(Armero tragedy、ネバドデルルイス火山噴火による災害)犠牲者のためのベネフィット・コンサートに登場した[3]。
1986年6月には来日し、渡辺貞夫主催のイベント「ブラバス・クラブ '86」の参加グループとして単独公演も行なった[4]。