ヴァシリコ・ユーリエヴィチ From Wikipedia, the free encyclopedia 在位 スーズダリ公:1149年 - 1151年ポロシエ公:1155年 - 1161年死去 1161年以降家名 リューリク家父親 スーズダリ公ユーリー・ドルゴルーキーヴァシリコ・ユーリエヴィチВасилько Юрьевич スーズダリ公ポロシエ公 イジャスラフの使者を迎えるヴァシリコ在位 スーズダリ公:1149年 - 1151年ポロシエ公:1155年 - 1161年死去 1161年以降家名 リューリク家父親 スーズダリ公ユーリー・ドルゴルーキー母親 クマン人のハン・アエパの娘テンプレートを表示 ヴァシリコ・ユーリエヴィチ(ロシア語: Василько Юрьевич、? - 1161年以降)は、スーズダリ公ユーリー・ドルゴルーキーの子である。スーズダリ公:1149年 - 1151年[1]、ポロシエ公:1155年 - 1161年[1]。 父のユーリーが1149年にキエフ大公として承認されてから、1155年にスーズダリ公に戻るまでの間、ユーリーのナメストニクとしてスーズダリの統治を任されていた。1157年の父の死以降、1161年まで、ヴァシリコはポロシエ(キエフ南方の軍事的入植地帯)を保持していた。それはキエフ大公位を狙うイジャスラフとユーリー一族の闘争の最終局面において、ヴァシリコが黒頭巾族(ポロシエの遊牧民の総称)と共に闘争に参加していたことによる。 その後、兄弟のアンドレイ・ボゴリュブスキーによってビザンツ帝国へ送られ、ドナウ川流域にいくらかの領土を得た[1]。ヴァシリコの死亡年、また家族に関しては不明である。 出典 1 2 3 Л.Войтович 3.17. МОНОМАХОВИЧІ. ЮРІЙОВИЧІ. РОСТОВСЬКА, СУЗДАЛЬСЬКА, МОСКОВСЬКА І ТВЕРСЬКА ГІЛКИ // КНЯЗІВСЬКІ ДИНАСТІЇ CXIДНОЇ ЄВРОПИ ― Львів - 2000 Related Articles