ヴァシリーはロストフ公コンスタンチン(ru)の子である。年代記上における、ヴァシリーに関する記述は2ヶ所のみである。すなわち、1291年に生まれたこと、また、1316年にジョチ・ウルスからの使者と共にロストフへ到来し、多大な被害を与えたという記述である。ヴァシリーのこの行動は、この時期進行していた、トヴェリ公ミハイル、モスクワ公ユーリーによる、ウラジーミル大公位をめぐる闘争と関連していると考えられている。
ヴァシリーの妻に関する詳細は不明であるが、フョードルとコンスタンチン(ru)という2人の子がおり、ヴァシリーの死後、2人がロストフ公国を分割して相続した。ヴァシリーの没年はおそらく1316年である。