ヴィクトル・イワノフ
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サンクトペテルブルク市公務員
レプリュス社総支配人
FSB次官
| ヴィクトル・イワノフ Виктор Иванов | |
|---|---|
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ヴィクトル・イワノフ(2014年1月20日) | |
| 生年月日 | 1950年5月12日(75歳) |
| 出生地 |
ノヴゴロド |
| 出身校 | レニングラード電気技術大学 |
| 前職 |
KGB諜報員 サンクトペテルブルク市公務員 レプリュス社総支配人 FSB次官 |
| 所属政党 |
→ 無所属 |
| 称号 | 法学博士 |
| 在任期間 | 2008年5月25日 - 2016年5月7日 |
| 大統領 | ウラジーミル・プーチン |
| 在任期間 | 2008年5月15日 - 2016年4月5日 |
| 大統領 | ウラジーミル・プーチン |
| 在任期間 | 2000年1月5日 - 2004年3月26日 |
| 大統領 | ウラジーミル・プーチン |
| 軍歴 | |
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| 所属組織 |
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| 軍歴 |
1977年 - 1991年 (KGB) 1991年 - 1994年 1998年 - 1999年 (FSB) 2008年 - 2016年 (FDCS) |
| 最終階級 |
第1級ロシア連邦現役国務参事官 [注釈 1] |
| 指揮 |
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| 戦闘 | ・アフガニスタン紛争 |
ヴィクトル・ペトローヴィチ・イワノフ(ロシア語: Ви́ктор Петро́вич Ивано́в、ラテン文字転写の例:Viktor Petrovich Ivanov、1950年5月12日 - )は、ロシアの政治家。ウラジーミル・プーチン政権で大統領補佐官や連邦麻薬取締庁長官を務めた。ソ連国家保安委員会(KGB)やロシア連邦保安庁(FSB)に所属しており、最終階級は大将である。
経歴
生い立ち
1950年5月12日、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のノヴゴロドで軍人の家庭に生まれる。1974年、無線通信専攻でレニングラード電気技術大学を卒業する。なお1年前には、同じ専攻で卒業した、後のロシア内務大臣となり自身共にウラジーミル・プーチンの側近を務めるボリス・グルイズロフがおり、イワノフは大学のコムソモール委員会で働いていたときに彼と知り合った。
大学卒業後、ソ連軍に徴兵され、兵役終了後、科学生産合同「ヴェクトル」に勤務するが、この時にソ連国家保安委員会(KGB)のエージェントとなったと言われる[1]。
KGBでの経歴
1977年(または1978年)、KGB高等課程を修了 し、1994年までKGBレニングラード支局に勤務する。レニングラード支局では、捜査官から密輸対策課課長まで昇進した。レニングラード支局時代にプーチンと知り合う。
1987年から1988年までアフガニスタンで活動[2]し、ムジャヒディンとの戦闘にも参加している。1988年にレニングラードに戻り、密輸対策課課長としてKGBレニングラード州局に勤務した。
1990年12月、イワノフはグルイズロフらともに、中小企業「ブロック」を創設した。
ソ連崩壊後の経歴
ソ連崩壊後も治安関係の仕事をしていたが、1994年にイワノフは大佐の階級で退役し、サンクトペテルブルク第一副市長となったプーチンの推薦で市の行政府に勤務するようになる。サンクトペテルブルクでは管理部長などを務めたが、1996年の市長選挙で現職のアナトリー・サプチャークが、第一副市長だったウラジーミル・ヤコブレフによもやの敗北を喫し、これを機会にイワノフも市行政府を退職。転職し、株式会社テレプリュス総支配人を務める。この会社は、1996年から1998年まで、衛星チャンネル放送と衛星・地上波チャンネル受信機器の設置を手がけるロシアとアメリカの合弁会社である。

1998年、サプチャーク市長が敗北したため、同様にサンクトペテルブルクを去っていたプーチンが連邦保安庁(FSB)長官に就任。プーチンは、再びイワノフを誘い、FSB内査局長に任命する。以後、1999年プーチンの首相就任に伴い、FSB次官/経済保安部長となる。同年12月31日にプーチンが大統領代行に就任すると、人事担当の大統領府副長官に就任し、KGBのプリマコフ派を更迭した。
2002年6月に、イワノフはS-300およびS-400長距離地対空ミサイルシステムを製造を監督するために、新たに設立された株式会社「防空コンツェルン・アルマズ・アンティ」の取締役会長に就任した。しかし教育・科学大臣のイリヤ・クレバノフは、アルマズ・アンティを省庁間金融産業グループ「防衛システム」の傘下に入れることを計画したが、イワノフはこれを阻止した[3][4]。
2004年3月、大統領補佐官に任命される。イワノフの職務には、人事問題、公務員制度、市民の憲法上の権利の保護に関する大統領の活動に対する情報分析の支援、これらの問題に関する大統領府と政府機関との連携の確保、 人事問題、裁判官の任命、市民権、恩赦、国家表彰に関する大統領令の作成などがある[5][6]。イワノフ大統領府副長官のイーゴリ・セーチンと並び、軍・治安・諜報機関出身者のシロヴィキの代表とされた。なお、イワノフは、2004年10月2日に日本政府の招待で来日している。
2005年6月、イワノフは株式会社「アエロフロートの取締役会長に選出された。

2008年5月にメドヴェージェフ政権が発足すると、連邦麻薬取締庁長官に就任し、2016年まで長官を務めた[7]。同時にアエロフロート取締役社長を辞任した[8][9]、5月25日にはロシア連邦安全保障会議議員を兼務した。
2010年10月、イワノフはアメリカのカリフォルニア州におけるマリファナ合法化反対キャンペーンを行うためロサンゼルス、さらにワシントンを訪れて、麻薬取締局(DEA)長官のギル・カーリコウスキーおよびアフガニスタン担当特使リチャード・ホルブルックと会談し、アフガニスタンにおけるケシ栽培根絶対策について積極的な実施を訴えた[10]。
2015年、元KGB・FSB諜報員のアレクサンドル・リトビネンコ殺害事件に関する高等裁判所の公判でイワノフは、事件への関与と、タンボフギャングとの関連で起訴された。同ギャングは1990年代にコロンビアの麻薬カルテルの麻薬取引と資金洗浄に関与していたとされる[11][12][13]。
2016年4月5日、プーチンの大統領令により、連邦麻薬取締庁は廃止され、その機能と権限はロシア内務省に移管された。イワノフは新機関への異動には応じなかったが、最終的に解任された[14]。同年5月7日には安全保障会議議員からも除外された[15]。
盗作疑惑
イワノフは法学博士で、博士論文のテーマは「ロシア連邦の国家利益を確保する法的メカニズム」だった。しかしイワノフの博士論文は、4つの論文からの無断引用を含んでいるとされる。さらに他の調査では、V.イワノフと内務大臣ウラジーミル・コロコリツェフの学術論文には、相互盗作が認められることが明らかになっている[16]。