ヴィドー家
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7~8世紀にモーゼル川流域発祥で[3]、アウストラシア出身のナント伯でブルターニュ辺境伯[4]のギーを祖とする。
9世紀初めにイタリアに入り、840年代までにはスポレートを奪い取りスポレート公となった。一族は教皇領内で権力を伸ばし、皇帝には忠実であったが、教皇とは敵対関係にあった。また、女系でカロリング家とつながっており、イタリア王およびローマ皇帝を出した。
ナント伯ランベール1世の息子グイード1世は842年、皇帝ロタール1世によりスポレート公とされた。彼はイタリアで活動し、ベネヴェント公シコーネ1世の娘イッタと結婚した。子孫は897年までスポレート公の地位にあり、グイード4世はベネヴェント公も兼ねた。同家で最も有名な人物は、グイード3世とその息子ランベルト2世で、イタリア王およびローマ皇帝となった。
のちにアンジュー伯フルク1世赤顔伯は、898年に同家の子孫ロッシラと結婚し、それによりアンジュー伯領を得たとされる[5]。また、のちに神聖ローマ皇帝を出したザーリアー家は、モーゼルに残った同家の子孫とされる[3]。
系図
| ランベール | チュートベルガ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ルートヴィヒ1世 フランク王 | ピピン イタリア王 | ギー ナント伯(786-818) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ロタール1世 イタリア王 | 娘 | ランベール1世 ナント伯(818-831) スポレート公(834-836) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ロトルード | ランベール2世 (-852) ナント伯(843-846, 849-851) | グイード1世 スポレート公(842-860) | イッタ (ベネヴェント公シコーネ1世娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ランベルト1世 スポレート公(859-871) スポレート公(再)(876-880) | ユーディト (フリウーリ辺境伯エーベルハルト娘) | グイード3世 カメリーノ侯(880-894) スポレート公(883-894) イタリア王(889-894) | アジェルトゥルデ (ベネヴェント公アデルキ娘) | ロチルデ =トスカーナ辺境伯アダルベルト1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| グイード2世 スポレート公(880-883) カメリーノ侯(880-883) | ランベルト2世 イタリア王(891-898) スポレート公(894-898) カメリーノ侯(894-898) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| グイード4世 スポレート公(889-897) カメリーノ侯(889-897) ベネヴェント公(895-897) | イッタ =サレルノ侯グアイマーリオ1世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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