ヴォルデマール・ハウ
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略歴
現在のリトアニアのタリンで生まれた。父親のヨハネス・ハウ(Johannes Hau: 1771-1838)はシュレースヴィヒ公国のフレンスブルク(現ドイツ)出身の画家で、1795年に当時ロシア帝国領であったタリンに移ってきた人物である。異母兄のエドゥアルト・ハウ(Eduard Hau: 1807-1888)も画家になった。父親やロシアの宮廷画家になったカール・フォン・キューゲルゲン(1772-1832)から絵を学んだ。
16歳の時に大公妃たちの肖像画を描く機会を与えられ、サンクトペテルブルクの帝国美術アカデミーの教授、アレキサンデル・ザウエルヴァイト(Alexander Sauerweid)への推薦状を得て、1833年から1835年の間、帝国美術アカデミーの「招待学生( приглашённого студента)」として学んだ。フリーランスの画家として働いた後、2年間イタリアやドイツ各地で修行し1840年の帰国後、宮廷画家に任命された。その後30年間にわたりロシア皇室や貴族の水彩肖像画描いた。1849年に帝国美術アカデミーの正会員に選ばれた。
有名な作品には、皇帝ニコライ1世とアレクサンドラ・フョードロヴナ皇后の肖像画などがあり、皇帝の家族全員の肖像画や言語学者のフェルディナント・ヨハン・ヴィーデマン(Ferdinand Johann Wiedemann)や詩人アレクサンドル・プーシキンの妻ナターリア・プーシキナなどロシアやバルト・ドイツ社会の有力者の肖像画も描いた[2]。また、ロシア帝国親衛隊であるイズマイロフスキー連隊を退役した軍人のミニチュア肖像画、200点も制作した[1]。
1895年にサンクトペテルブルクで亡くなった。
作品
- 伯爵夫人ユリヤ・サモイロワ (1840)
- ロシア大公女エリザヴェータ・ミハイロヴナ (1844)
- ロシア大公女マリア・ニコラエヴナ と子供たち (1845)
- ロシア大公女アレクサンドラ・アレクサンドロヴナ (1845)
- アレクサンドル2世と妻 (1841)
- ロイヒテンベルク公爵の子供たち(1853)
- フィラレート (モスクワ府主教) (1854)