ヴォルフガング・シュナイダーハン From Wikipedia, the free encyclopedia この記事の項目名には以下のような表記揺れがあります。 ヴォルフガング・シュナイダーハン ヴォルフガング・シュナイダーハーン 生誕 (1915-05-28) 1915年5月28日出身地 オーストリア=ハンガリー帝国、ウィーン死没 (2002-05-18) 2002年5月18日(86歳没)学歴 ウィーン音楽院ヴォルフガング・エドゥアルト・シュナイダーハン 基本情報生誕 (1915-05-28) 1915年5月28日出身地 オーストリア=ハンガリー帝国、ウィーン死没 (2002-05-18) 2002年5月18日(86歳没)学歴 ウィーン音楽院ジャンル クラシック音楽職業 ヴァイオリニスト担当楽器 ヴァイオリン ヴォルフガング・エドゥアルト・シュナイダーハン(ドイツ語: Wolfgang Eduard Schneiderhan[1][2], 1915年5月28日 - 2002年5月18日)[3]は、オーストリアのヴァイオリニスト。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターを務めた。 1915年、ウィーンで生まれ、最初はウィーン音楽院ヴァイオリン科の主任教授であったオタカール・シェフチークに、ついでユリウス・ヴィンクラーに学んだ。10歳の時に公開演奏会でバッハのシャコンヌを弾いた。翌年の1926年にコペンハーゲンでメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏してデビューした。 1933年から1937年までウィーン交響楽団のコンサートマスターを務めたが、1937年からは、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の第2コンサートマスターとなる。なお、この起用は指揮者のクレメンス・クラウスによるもので、シュナイダーハンの実力は折り紙つきであったため、入団試験は行われなかった[4]。ナチスの台頭によって、第1コンサートマスターであったアルノルト・ロゼがロンドンへ亡命せざるを得なくなったため、1938年に第1コンサートマスターに就任した。 1938年3月、ウィーン・フィルの首席奏者らと弦楽四重奏団を結成し(シュナイダーハン四重奏団)、1951年8月2日まで活動を続けた。 1949年にソリストとして独立するためにウィーン・フィルを退団。 また、ザルツブルク、ウィーン、ルツェルンでヴァイオリンの教師を務め、1956年にルドルフ・バウムガルトナーとともにルツェルン音楽祭弦楽合奏団を創設した。 室内楽の分野でも、前述のシュナイダーハン四重奏団での活動の他、カール・ゼーマンとデュオを組んだりした。当時から「クーレンカンプの後継者といえたのはウィーン出身のヴォルフガング・シュナイダーハンだけだろう」(ハンス・ハインリッヒ・エッゲブレヒト(ドイツ語版))と言われており、エトヴィン・フィッシャー、ゲオルク・クーレンカンプ、エンリコ・マイナルディとのトリオは、ゲオルク・クーレンカンプ没後にシュナイダーハンに交代した。 2002年、ウィーンで没。 ウィーン、ノイシュティフター墓地にあるシュナイダーハン夫妻の墓 兄はウィーン交響楽団のコンサートマスターを務めたワルター・シュナイダーハン。妻のソプラノ歌手、イルムガルト・ゼーフリートとは1988年に死別。妻との間に3人の娘がおり、うち一人は女優のモナ・ゼーフリート(de)。甥にドイツ連邦軍総監を務めた同名のヴォルフガング・シュナイダーハンがいる。 参考文献 オットー・シュトラッサー『前楽団長が語る半世紀の歴史 栄光のウィーン・フィル』ユリア・セヴェラン訳、音楽之友社、1977年。 脚注 [脚注の使い方] ↑ アーカイブ 2019年7月16日 - ウェイバックマシン ↑ アーカイブ 2018年1月30日 - ウェイバックマシン ↑ Inglis, Anne (2002年6月7日). “Wolfgang Schneiderhan Violinist known for his performances of the Viennese repertory”. The Guardian. オリジナルの2013年11月4日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/Pbd18 ↑ シュトラッサー (1977)、18-19頁。 典拠管理データベース 全般ISNIVIAFFASTWorldCat国立図書館ドイツアメリカフランスBnF dataイタリアオーストラリアチェコスペインオランダノルウェーラトビアSwedenポーランドイスラエルフィンランド学術データベースCiNii BooksCiNii Research芸術家MusicBrainz人物BMLOTroveドイッチェ・ビオグラフィーDDBその他IdRefSNACYale LUX Related Articles