ヴャツコエ
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元々の住民は、様々なツングース系民族であったものとみられる。
かつては外満洲に属していたが、1860年の北京条約により、ハバロフスク、ウラジオストクとともに清朝からロシア帝国に割譲された。
第二次世界大戦中、ヴャツコエ付近は、朝鮮人や中国人のゲリラで構成されたソ連の第88旅団の野営地(「北野営」)だった[1][注釈 1]。後に北朝鮮の指導者となる金日成は、ソ連の赤軍の大尉として大隊を指揮して駐留しており、彼の家族もそこにいたという情報がある[1][2]。その情報によると、彼の息子である金正日は1941年2月16日にこの村で生まれたという[1][注釈 2]。金正日の北野営でのロシア語の愛称はユーラであった[1][注釈 3]。
この村の住民は、金正日の弟の金修羅(シューラ・キム、金万一)が井戸に落ちて死んだので、そこに埋葬されたと主張している [3]。しかし、それ以外の資料では、金正日の兄弟は1947年に平壌のプールで溺死したとされることが多い[4]。


