ヴラディーミル・ド・パハマン
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ウクライナのオデッサで、ユダヤ人の家庭に「ヴラディーミル・パハマン(Vladimir Pachmann)」として生まれた。貴族の称号である「フォン(von)」や「ド(de)」という前置詞は、後にパハマン自身が付けたとみられ、ロシア帝国軍の将校として働いていた彼のほかの兄弟はこの前置詞を使用しなかった。
父はオデッサ大学の教授であり、ベートーヴェンやウェーバー、その他ウィーンの著名な作曲家と出会ったアマチュアのヴァイオリニストだった。パハマンは父から音楽の手ほどきを受けていたが、地元の音楽教育の水準に飽き足らず、ウィーンに移住。ヨーゼフ・ダックスにピアノを師事し、アントン・ブルックナーに音楽理論を学んだ。
1869年にオデッサでピアニストとしてデビューしたものの、タウジヒの演奏を聴いて魂を震撼され、自らの芸術を磨くために一時引退。イタリアで隠遁生活を送った後、1882年にピアニストとして復帰。
1906年からは、ヴェルテ=ミニョンのピアノロールに録音を開始し、それ以前の1903年から草創期のグラモフォン・アンド・タイプライター(略;G&T)[1]のSP盤に録音を開始。追ってイギリスコロムビア[2]と、グラモフォン・H,M,V.レーベル及びアメリカビクター[3]にレコードの録音に最も早く対応したピアニストの一人でもある。また、レオポルド・ゴドフスキーのことを常に意識しており、ショパンの『黒鍵のエチュード』の録音では、ゴドフスキーの『ショパンのエチュードによる練習曲』の同曲の編曲のパッセージを『ゴドフスキーはこうやってる』と言って再現して見せたり、同曲集から左手のための『革命のエチュード』の録音を残している(これは『ショパンのエチュードによる練習曲』の最初の録音と考えられる)。
