一龍斎貞山
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初代
2代目
4代目
6代目
六代目 一龍斎 貞山(1876年11月26日 - 1945年3月10日[6])は、講談師。本名∶桝井 長四郎。
経歴
1876年(明治9年)11月、東京府[6]銀座(現在の中央区)の袋物商「富田屋」に生まれる[6]。
11歳で四代目一龍斎貞山に入門し、三代目一龍斎貞花を名乗る[6]。師が没したため、預り弟子として五代目一龍斎貞山門下へ移る[6]。
初代邑井吉瓶、初代伊藤痴遊の後見で三代目一龍斎貞丈を襲名し21歳で真打昇進[6]。1907年(明治40年)、六代目一龍斎貞山を襲名[6]。
芸歴
人物
三代目神田伯山、二代目大島伯鶴と共に売り出し、「釈界の三羽烏」と評された[6]。
その流れるような調子から「水道の蛇口」と評された上に、多様な演目を持ち、特に「義士伝」はお家芸であった[6]。
講釈師でありながら落語協会の頭取を務め、色物の寄席にも積極に出演した[6]。落語協会の会長が講談師なのを疑問に思った三代目三遊亭圓歌が五代目古今亭志ん生に「師匠、何で落語協会の会長が講談の先生なの?」と尋ねた所、「仕方ないんだよ。(落語家は)皆、金借りてるから」と答えたと言う。
7代目
七代目 一龍斎 貞山(1907年6月2日 - 1966年12月7日[7])は、講談師。本名∶佐藤 貞之助。東京府生まれ[7]。
経歴
1907年(明治40年)6月、東京府東京市深川区(現在の東京都江東区)に生まれる[7]。東京市猿江尋常小学校卒業。
1922年(大正11年)3月、六代目一龍斎貞山に入門し、本名から一龍斎貞之助を名乗る[7]。1931年(昭和6年)3月、六代目一龍斎貞鏡と改名し、真打昇進[7]。1947年(昭和22年)3月、七代目一龍斎貞山を襲名[7]。
芸歴
人物
道具仕掛けの怪談物を得意とし、「お化けの貞山」の異名を取った[7]。一方、「義士伝」や「荒木又右衛門」といった古典もよく読んだ[7]。また講談組合の副頭取を長く務めた[7]。
出演
映画
- 珍説忠臣蔵(1953年、新東宝) - 晴山
弟子
廃業
- 一龍斎鏡之助 - 泥棒癖があり、栃木訛りを直すのに苦労したという。