七島観世音菩薩
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伝説
その昔、源義家が安倍貞任を攻めたとき、樽水の大館より射た矢が上余田まで飛んで来て突き刺さった所を「矢塚」と呼び、矢が飛び越えた橋を「矢越の橋」と云ったという。
そこには合戦で義家に降伏した安倍氏の一族が鎧や武器などを埋めた七ツの塚があり「七島」と云われたという。上余田の七島集落裏の水田の中に15メートル程の間隔で、七基の塚が東西に並んでいる。昔は円い塚だったが水田の耕作で次第に削られて、痩せた紡錘形になったのだという。
七ツの塚は戦後まで存在したが、国道4号のバイパス工事で二基が姿を消し、その後一基が住宅建設で崩壊したと里人が話す。七ツの塚の西端の塚に観音様が祀られ「七島観音」といわれていた。
2020年現在、周辺一体は宅地開発が行われ残りの塚も消滅してしまったが、数年前[いつ?]に名取市教育委員会が七島の発掘調査を行った。その結果は伝説の鎧や武器を埋蔵した跡は認められなかったが、古墳時代末期頃の円墳と考えられる遺跡が発掘された。
名取郡内には「前九年の役」や「後三年の役」で戦場になったとする伝説の場所が数多く残っているが、上余田の七島は前九年の役や後三年の役とは関係がなさそうである。p91「矢越の橋と七島の伝説」[2]p91