万国正義院
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万国正義院(ばんこくせいぎいん)は、バハイ信教の最高統治機関であり、選挙により選出された9名のメンバーで構成されている。バハイ信教の創立者であるバハオラにより書かれた聖典や主要な文献で既に触れられていない事項について、聖典の枠内で規範を立法できる機関として構想され、変化する世界の状況にバハイ教の教えが適応できる柔軟性を提供することを可能にする機構である[1]。1963年に初めて選出され、その後は5年ごとに選挙が行われている。選挙に参加する資格を持つ代議員は、世界中のバハイ全国精神行政会のメンバーで構成される。
万国正義院は、バハイ信教の中心機関として、成長計画やレズワンの祭礼中に発表される年次メッセージを通じて、世界中のバハイ共同体に指針を示している。これらのメッセージは、地方精神行政会議の数の増加、バハイ文献の翻訳、バハイセンターの設立、バハイの礼拝堂の完成、国際会議の開催などに関する計画と実施について述べるものや、識字率の改善、女性の役割、子供と若者の教育、家族生活、社会的・経済的発展、共同礼拝を強化するための教育システムの開発に焦点を当てるものが多くみられる[2]。万国正義院は、イランにおけるバハイ教徒への体系的な迫害に対して、世界中に情報を発信しメディアの注目を集めることで対応する役割も果たしてきた[3]。
万国正義院が刊行する書籍および文書は権威あるものとみなされており、その決定は無謬であるとバハイ信者の間で真実として受容されている[4]。バハイ信教の聖典に明示されていない事項について立法する権限を有しているものの、万国正義院がこの権限を実際に行使することは稀である[5]。
万国正義院の所在地はイスラエルのハイファ、カルメル山の斜面にあり、構成員は同地に居住することが求められている[1]。バハイ信教におけるその他すべての選出・任命職は男女を問わず開かれている一方、万国正義院のメンバーシップは男性に限られている。この理由については、将来明らかにされるとバハイの文献において述べられている[6]。
バハオラはバハイ信教の創始者であり、その著作『アクダスの書』において初めて正義院の制度を定め、その機能を明確にしている。この制度に付与された責務については、『バハオラの書簡』を含むいくつかの他の著作においてもさらに拡張され、言及されている。これらの著作の中で、バハオラは、万国正義院が宗教上の権威を担い、彼自身が触れていない事柄について審議することになると述べている。また同時に、この制度の構成員は神の霊感を受けることが保証されているとし、神託を受けた人物は、すべての人々に配慮しその名誉を守るであろうと記している[1]。
後に、アブドル・バハは、バハオラの子息かつ後継者として、彼の遺訓書において正義院の機能、構成、および選挙方法について詳細に論じた。アブドル・バハは、万国正義院がバハオラの庇護下にあり、誤謬から免れること、そして同院への服従が義務であることを記している。また、各地のコミュニティにいずれは地方の「正義院」や、それらを統括する「正義院」(現在のバハイ全国精神行政会)が設置されるであろう、との構想を示し、それと区別するため、初めて「万国正義院」という語を用いた。さらに彼は、機関の決定は多数決によって行うことが可能であるものの、全会一致が望ましいこと、そして万国正義院は全国レベルの「正義院」の構成員によって選出されべきであることを明記した。加えて、アブドル・バハはバハオラの言明を追認し、男性と女性が霊的に平等である一方、万国正義院のメンバーシップは男性に限られ、その理由に宿る英知は将来明らかになると述べている(詳細は「バハイ信仰と男女平等」を参照)。[1]
アブドル・バハとショーギ・エフェンディは、バハオラに続く宗教指導者として万国正義院の設立を構想していたものの、その実現には至らなかった。ショーギ・エフェンディが設立を見送った理由は、当時のバハイの行政機関が十分に整備されていないと判断したためである。当時、全国および地方の精神協議会の数は極めて限られていた。このような状況を踏まえ、ショーギ・エフェンディは自身の生涯を通じて地方および全国レベルにおける堅固な行政体制の確立に注力し、万国正義院選挙の実施に向けた基盤を整えた。1951年、世界における全国精神協議会の数が9に達した時、ショーギ・エフェンディは国際バハイ評議会のメンバーを任命し、それを「国際正義院の萌芽」であると位置づけた。1957年にショーギ・エフェンディが急逝した後は、大業の翼成者が宗教の事務を担い、彼が企図した国際的な教化計画である十年聖戦が終了する1963年に万国正義院の選挙を実施することを発表した。[1]
1961年には、国際バハイ評議会が選挙制の機関へと改編され、すべての国の全国精神行政会の代表が評議会メンバーの選出に参加した。その後、1963年4月に第一回の万国正義院が選出され、ショーギ・エフェンディの逝去から6年を経て、56の全国精神行政会の構成員により選出が行われた。この選挙は、十年聖戦の終結と時期を同じくし、さらに、バグダードのレズワン庭園におけるバハオラの聖なる宣言から百周年という節目にも当たっていた。以降、万国正義院は宗教の最高指導機関として機能することとなった。また1972年には、万国正義院の構成員個々には特別な権限を付与せず、評議会としてのみ権限を行使するという独自の憲法が公布された。[1][7]
選挙プロセス
万国正義院のメンバーは、地方、国レベルの代表選挙を経た第3段階で行われる国際レベルの選挙において、秘密投票と相対多数決(単純多数決)によって選出される。この選挙では、指名や選挙運動は一切行われず、バハイ信教の全成人男性が被選挙資格を有する[8]。万国正義院のメンバーは、各国でその国のバハイによって選出された国または地域の精神行政会のメンバーが集まり、5年ごとに開催される大会の期間中に選出される。各国の全国精神行政会のメンバーは、成人男性であるバハイ9名に投票する。不在者投票は、郵送するか、代表者が持参する。そして、最も票数を集めた9名が、万国正義院のメンバーとして選出される。2013年には、ハイファに参集した代表者による直接投票と、約400票の不在者投票を合わせ、1,500票を超える票が投じられた[9]。この年の選挙は、万国正義院のメンバーが初めて選出された1963年から50周年にあたる記念すべきものであった[10][11]。最近の本選挙は、2023年4月29日に行われた[12][13]。
責任

万国正義院は今日、世界中のバハイ共同体が成長し発展していくための指導にあたっている。バハオラが述べた正義院が概ね果たすべき役割には、神の大業を広めること、法の存続、一般社会に関わる諸事の管理、人々の魂を教育すること、子供たちの教育を保証すること、世界全体の繁栄を図ること(極端な貧富の差の是正)、そして貧困にある年長者や病人の世話をすることが含まれている[14]。万国正義院の信託任務宣言書には、その権限と義務が記されている。その一部を紹介する[14]。
- バハイ個人の生活と共同体生活を特徴付ける精神的資質を促進する
- バハイの聖典の保全、翻訳、出版
- 世界中のバハイ共同体を抑圧と迫害から守る
- バハイ信教の精神行政の世界的中枢である世界センターの保全と発展に貢献する
- バハイ共同体と行政機構の成長・成熟を奨励する
- 個人の権利、自由、主体性を保護する
- 信教の原則と法を適用する
- 時代の要請に応じて、信教の聖典に記されていない法を施行し、廃止し、変更を加える
- 信教の法の違反に対して制裁を宣告する
- 正義院に付託された紛争の裁定と仲裁を行う
- 国際献金や、ホゴコラなど、世界中の共同体メンバーから寄託され、その管理下に委託された資産や不動産を管理・運用する
万国正義院はさらに、「人々の訓練、諸国家の建設、人々の保護、名誉の擁護」が確実になされるよう、人類全体の福利に建設的な影響を及ぼし、世界の国々の間に恒久的な平和を促進するよう、バハオラから指示されている[14][15]。
管轄権
万国正義院には、社会の進歩にバハイ信教を適合させる責任も託されていることから、バハイの聖典に明記されていない事柄を立法化する権限が与えられている。このように、万国正義院には自らが法制化したことを変更したり撤回する権限があるが、聖典に明記されている法を廃止したり変更することはできない[1][14]。
出版物
万国正義院は、1963年の創設以来、諸事に対する立法権を授けられていながら、その行使を制限している。特定の法を定める代わりに、世界中のバハイに概ねの指針を提供してきた。これらの指針は、手紙やメッセージの形で提供されることが一般的であり、ショーギ・エフェンディのやり方が踏襲されている。正義院から送られた手紙の多くは編纂のうえで出版され、神由来の権威を宿したものとみなされている。正義院による決定は、無謬であるとされている[16][4]。正義院からの手紙では、教え、祈り、家庭生活、教育、バハイの行政を含むさまざまな主題が扱われている[16]。正義院は、毎年、レズワンの初日(バハイ暦を基準とするため、年によって変わり、4月20日または21日になる)に、レズワン・メッセージと呼ばれるメッセージを世界中のバハイ共同体に送付する[17]。
万国正義院も、バブ、バハオラおよびアブドル・バハの著作から抜粋した文章を収集し、出版している。1992年には、バハオラが著した法の書、ケタベ・アグダスを英語で出版し、その後も翻訳文献の出版を行っている。正義院は出版に向けて取り組む中で、バハイ世界センターに研究部門とアーカイブ部門を設立した。1983年の時点で、バハオラ、アブドル・バハ、ショーギ・エフェンディによる手紙が60,000通以上収集された。これらにおいて規定された事項を基準に、万国正義院による審議がなされている[16]。
- 「世界の人々へ」という書き出しで始まる声明。160人以上の国家首脳や政府首長に送付されたこの声明には、世界平和の樹立に必要な主要な条件と、樹立を阻む諸々の障害が概説されている。
- バハオラ(1992年)
- バハオラの昇天100周年を記念して発表された声明。彼の生涯と業績が回顧されている。
- 人類の繁栄(1995年)
- 世界人類の繁栄の概念に関して、バハイの教えの視点から提言した声明。
- 世紀の光(2001年)
- 20世紀を振り返り、この世紀に起きた劇的な変化と、無名の存在だったバハイ信教が知られるようになっていった経緯について述べた声明。
- 宗教指導者たちへの手紙(2002年)
- 宗派間の憎悪という病への対処を主題とし、すべての宗教運動に「遠い過去から受け継いだ固定観念を超越する」ことを促す手紙。
- 一つの共通の信仰(2005年)
- バハイ共同体を主たる対象とした文書。宗教の一体性の原則を浸透させることや、宗教的偏見の克服を、困難であっても取り組むべき大きな課題として明確に示している。
現在のメンバー
以下に記す、現在の万国正義院のメンバー全員が、以前は国際布教センターのメンバーを務めていた。[19]
- ポール・ランプル (2005年)
- ペイマン・モハジェル (2005年)
- シャフリヤール・ラザヴィ (2008年)
- アイマン・ルハニ (2013年)
- チュウンゴ・マリトンガ (2013年)
- フアン・フランシスコ・モラ (2018年)
- プラヴィーン・マリック (2018年)
- アルバート・ンシス・ンスンガ (2023年)
- アンドレイ・ドノヴァル (2023年)