1581年(天正9年)、最上義光は勢力拡大のため、馬揃えを開き、敵対する勢力を見極めようとした。天童氏をはじめとする国人の中には、参加を拒否する者もいた。その中で、最上義光が最も倒しやすい敵と考えたのが、小国城の細川直元だった。
細川氏の領地は、四方に河川が流れる水運の要衝だった。最上義光は、この地を押さえることで軍需物資の運搬が容易になり、領土拡大に有利になると考えた。攻撃を任されたのは、戦上手として名高い蔵増光忠だった。最上八楯に属する国人を利用して、最上八楯の崩壊を知らしめる狙いもあったと言われている。
蔵増光忠が率いる最上軍の兵力は約3,500人、対する細川直元の軍勢はわずか350人だった。圧倒的に不利な状況にもかかわらず、細川直元は野戦を選択した。万騎の原と呼ばれる平野で両軍が激突したが、兵力差は歴然だった。最上軍は勢いそのままに小国城まで押し寄せ、城を落とした。細川氏は滅亡し、最上軍の勢力は北上した。