三人姉妹の家
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『三人姉妹の家』(さんにんしまいのいえ、ドイツ語: Das Dreimäderlhaus)は、ウィーンで1916年に初演された3幕からなるオペレッタ。フランツ・シューベルトを主人公とし、シューベルトの曲をハインリヒ・ベルテが編曲したものを使用している。数回映画化もされている。
日本語の題名は『シューベルトの恋』、『シューベルトの青春 三人姉妹の家』などいくつかある。
ルドルフ・ハンス・バルチ (Rudolf Hans Bartsch) による1912年の小説『シュヴァンメルル (Schwammerl)』(題はシューベルトのあだ名で「小さなキノコ」を意味する)が原作[1]。リブレットはアルフレート・マリア・ヴィルナー (Alfred Maria Willner) とハインツ・ライヒェルト (de:Heinz Reichert (Librettist)) による[2]。
はじめ曲はベルテ本人が作曲し、シューベルトの曲は「焦燥 (Ungeduld)」(『美しき水車小屋の娘』中の曲)を使っていただけだったが、劇場支配人のヴィルヘルム・カルツァグ (de:Wilhelm Karczag) はもっと全面的にシューベルトの曲を使うように要求し、シューベルトの作品をベルテが編曲したものに直してヒットした[2][3]。
ウィーンのライムント劇場で1916年1月15日に初演された[2]。1918年2月7日までに600回以上上演された[1]。ウィーン以外にベルリンやブダペストでも上演され、同様の成功を得た[1]。
第一次世界大戦中であったこともあり、他の国では戦後になってから上演された[1]。パリではユグ・ドロルム (Hugues Delorme) とレオン・アブリック (fr:Léon Abric) によって翻案され、『愛の歌 (Chanson d'amour)』の題で1921年5月7日にマリニー座で初演された[1]。
ブロードウェイでは『ブロッサム・タイム (Blossom Time)』の題で上演されたが、台本も音楽もウィーン版から大きく書きかえられたものになった[1]。1921年9月29日に初演され、1923年1月27日までに516回の公演を重ねた[4]。その後何度もリバイバル公演されている[1]。
ロンドンでは『ライラック・タイム (Lilac Time)』の題で1922年12月22日にリリック・シアターで初演され、626回の公演を重ねた[1]。
日本では1931年に宝塚歌劇団により『ライラック タイム』の題で翻案・初演された[5][6]。1935年には藤原歌劇団によって『シューベルトの恋』の題で上演された[2]。1996年には日本オペレッタ協会により『シューベルトの青春―三人姉妹の家―』の題で上演されている[7]。
主な登場人物
- フランツ・シューベルト(テノール):作曲家
- フランツ・フォン・ショーバー男爵(テノール):詩人でシューベルトの友人
- クリスティアン・チェル(バス):宮廷のガラス職人
- ハンネルル(ソプラノ):チェル家の三姉妹のひとり
- ハイデルル(ソプラノ):チェル家の三姉妹のひとり
- ヘーデルル(メゾソプラノ):チェル家の三姉妹のひとり
- ルチア・グリージ嬢(ソプラノ):宮廷劇場の歌手
- アンドレアス・ブルネーダー(バス):馬具職人
- フェルディナンド・ビンダー(テノール):郵便局長
あらすじ
第1幕
シューベルトの住む建物の中庭にショーバーらの友人が集まってワインを飲んでいる。ショーバーは歌手のグリージとの恋のアヴァンチュールについて語る。そこへチェル家の三姉妹がやってくる。三姉妹のうちヘーデルルは郵便局長のビンダーと、ハイデルルは馬具職人のブルネーダーと恋仲で、ボーイフレンドとの逢瀬を楽しむためにやってきたのだった。
三姉妹の父親が思いがけずやってきて、ボーイフレンドたちは隠れる。ショーバーは彼女たちがシューベルトに音楽を学びに来たのだと言って助け船を出す。ワインですっかり機嫌がよくなった父親にヘーデルルとハイデルルはボーイフレンドを紹介し、婚約が認められる。
人々が去った後、残ったハンネルルは実際にシューベルトに音楽を学ぶことにする。ふたりは引かれあう。
第2幕
ヘーデルルとハイデルルの結婚披露宴がチェル家で開かれ、シューベルトやショーバーも招かれる。シューベルトは自作の愛の歌を披露するが、気弱なシューベルトはそれがハンネルルのための曲であることを言いだせず、プロポーズに失敗したのでハンネルルはがっかりする。
グリージはハンネルルに対して「フランツル(フランツの愛称)は軽薄だから注意した方がいい」と忠告する。グリージはショーバーのことを言っていたのだが、ハンネルルはシューベルトのことだと思いこみ、プロポーズしてくれなかったのはそのせいだと誤解する。
シューベルトはハンネルルの態度が急に冷たくなったのをいぶかしみ、彼女の心を射止めるために愛の歌をショーバーに歌ってもらう。しかしながらハンネルルはそれをショーバーのプロポーズと勘違いして彼に抱きつく。友人を裏切るつもりではなかったとショーバーは弁解し、シューベルトもそれはわかっているので彼を許すが、ショーバーが去った後に愛の歌の後半部分「君こそ我が心」をひとり歌うのだった。
第3幕
ヒーツィングの広場。ショーバーは、自分がグリージとの関係を解消し、ハンネルルと結婚することにしたとシューベルトに告げる。そこへ当のグリージがやって来て、ショーバーと口論になる。それを聞いていたハンネルルは自分の誤解に気づくが、それでもショーバーと結婚する意志は変えないのだった。ハンネルルが手の届かない所に行ってしまったことを悟ったシューベルトは、自分の身を音楽に捧げることで悲しみに打ち勝とうと決意する。
主要な楽曲
日本語タイトルはおおむね(永竹 1999)による。
- Unter einem Fliederbaum - 「リラの木の下で」。第1幕、友人たちの歌。リフレイン部分は36の独創的舞曲 作品9の第2番変イ長調に歌詞をつけたもの。
- Heiderl und Hederl und Hannerl Tschöll - 「ハイデルル、ヘーデルル、ハンネルル・チェル」第1幕、三姉妹が登場するときの曲。『ロザムンデ』のバレエ音楽第2番に歌詞をつけたもの。
- Was Schön’res könnt’s sein als ein Wiener Lied - 「すてきなウィーンの歌」。第1幕、シューベルトとハンネルルの二重唱。
- Lied der Liebe - 「愛の歌」。第2幕、シューベルトの自作曲。『美しき水車小屋の娘』の「焦燥」を歌詞を含めてそのまま使っている。
- Geh’, Alte, schau - 第2幕、娘たち夫婦が家を出ていった後に父親が妻を慰めて歌う曲。
映画
このオペレッタをもとに、いくつもの映画が制作されている。
- 1918年のリヒャルト・オスワルド監督によるオーストリアのサイレント映画『三人姉妹の家』 (de:Das Dreimäderlhaus (1918)) [8]
- 1934年のポール・L・スタイン監督によるイギリス映画『ブロッサム・タイム』 (Blossom Time (1934 film)) [9]
- 1936年のドイツ映画『シューベルトをめぐる三人姉妹』 (de:Drei Mäderl um Schubert) [10]
- 1958年のエルンスト・マリシュカ監督によるオーストリア=スイス映画『三人姉妹の家』 (de:Das Dreimäderlhaus (1958)) 。カールハインツ・ベームがシューベルトを演じた。内容はオペレッタとはかなり変えられている。日本では『未完成交響楽』の題で公開されたが[11]、1933年の同名のより有名な映画『未完成交響楽』と紛らわしい。2010年のリバイバル上映では混同を避けるため『未完成交響曲~シューベルトの恋~』に改められている[12][13]。