三宅俊一郎
From Wikipedia, the free encyclopedia
人物
表彰
系譜
- 三宅家
境港市外江町の三宅家は、外江にあって当主俊一郎で9代目にあたるという古い医家系であるが、その5代までは、重なる火災にあって資料を全くなくして、その姓名さえ判らない[3]。6代目を三折といい、1864年(元治元年)12月7日没の墓碑が残されていて、三宅家の最も古い資料である[3]。
7代目・謙貞は、三折の子として1831年(天保2年)に生まれ、父について1852年(嘉永5)3月より1863年(文久3年)5月まで12年間漢方医術内科外科を学び、翌元治元年正月より外江村で内科外科を開業した[3]。また漢学その他の学問もよくしたとみえ、1859年(安政6年)より1872年(明治5年)まで14年間医業の傍ら寺子屋を開いて近在の子弟を教育した(鳥取県教育史)[3]。外江小学校が設立されると、その初代校長を勤めた[3]。また近隣の弓浜の医師たちからも信望があり、会見郡乙部医師組合の設立につとめ、弓浜医学会の幹事もつとめた[3]。1914年(大正3年)に83歳で没した[3]。
8代目・亨は1877年(明治10年)、外江に生まれ、上京して済生学舎に学び、1903年(明治36年)、医術開業試験に合格、翌年日露戦争に従軍し、帰国後群馬県桐生市で一時内科医院を開業していたが、1910年(明治43年)に外江に帰り、父の跡をついで開業し、1952年(昭和27年)に75歳で病没[3][3]。
三折━━謙貞━━亨━━俊一郎