三宅熊五郎
From Wikipedia, the free encyclopedia
備中国倉敷戎町(現・岡山県倉敷市)生まれ[4]。三宅伊助の長男[2]。8歳の頃に親が亡くなる[4]。11歳まで叔父に養われる[4]。12歳の頃大阪に来て所々に奉公する[1]。19歳の頃東京に赴き、牛肉店、または西洋料理店等に入る[1]。
後に大阪に帰り松島遊郭桜筋に些かな料理店を開き「おたふく」と称し、大いに繁盛する[1]。更に九条町で牛肉店を開始する[1]。幾多の商業に失敗したため、「改めてイの一番より事業に従事しよう」との考えより屋号を「いろは」と命名する[4]。自ら生牛を西浜町へ買出しに行き、西浜町民に屠殺させる[4]。
1873年より氷店を開く[4]。24歳の頃は15、6名の雇人を使用したが、放蕩のためたちまち失敗する[4]。
29歳の頃東京に赴き、神田鎌倉河岸に於いて葬儀社を起し専ら主任となる[1]。42歳の頃再び帰阪する[1]。千代崎橋畔に地を相し、牛肉店を再興する[1]。また会社の重役である[2]。