三巻本 (イギリス)
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三巻本(さんかんぼん、three-volume novel)は、19世紀のイギリスにおいて一般的であった長編小説の出版形態。長編小説を全3巻に分冊して販売したもの。スリーデッカー(three-decker)やトリプルデッカー(triple decker)とも[注釈 1]。主として、当時イギリスで一般的な読書形態の1つであった貸出図書館(Circulating library、会員制の貸本業)向けの高価な書籍として販売された。出版社や著者は大口相手に安定的に利益を得られる収益構造を持ち、貸出図書館側も会員相手に効率的に利益を得られる構造であったが、19世紀末に寡占状態であった貸出図書館側が仕入れ価格を強制的に引き下げたことにより衰退した。

なお、三巻本は現代でいう三部作(トリロジー)ではない。従来であれば単巻で発行していた長編小説を分冊したものを指す。また、全2巻とする二巻本もあった。
歴史

19世紀のイギリスでは大衆向けの出版業が栄えていた。当時の長編小説は1冊で5,6シリングが一般的であったが[2][3][注釈 2]、庶民が書籍を購入して読むには高価であった。もし書籍を購入する場合でも、チャールズ・ディケンズのような1巻あたり1シリング程度の非常に安価な分冊本形式のもの[注釈 3]や、ペニー・ドレッドフルのような1話1ペニーの連載小説が主であった。 このため当時の娯楽としての読書とは、通常は当時のイギリスで興隆していた会員制の貸本業である貸出図書館に年会費を払い、目的の書籍を借りて読むのが一般的であった。当時の貸出図書館の最大手の1つであったチャールズ・エドワード・ミューディの店(通称:ミューディーズ)は、1回の貸出につき1冊のみの場合は年会費1ギニー(21シリング)、4冊まで可能な場合は2ギニー(2ポンド2シリング)であった[4]。 また、別会員に貸出中で返却を待たなければならない場合であっても、優先的に全巻読むことができるより高額の会員プランもあった[5]。
現代に知られる三巻本の形態で最初に出版したのはエディンバラを拠点とする出版人のアーチボルド・コンスタブルによるウォルター・スコットの歴史小説『ケニルワース』(1821年)が始まりとされる[注釈 4]。 当時の標準価格5,6シリングに対し、コンスタブルは1巻あたり10シリング6ペンス(半ギニー)、全3巻セットで1ポンド11シリング6ペンス(1.5ギニー)という価格で販売した[3] [注釈 5][注釈 6]。 この1.5ギニーという価格は当時の中流家庭の平均的な週給の半分に相当し[9]、書籍の値段としては富裕層でも躊躇するほど高額であった[10]。したがって三巻本は個人向けではなく、主な販売先は貸出図書館であった。
『ケニルワース』は成功を収めたものの[11]、コンスタブルの会社自体は1826年に巨額の負債を抱えて倒産した[12]。 その後、『グレナヴォン』(1816年)の成功で知られる出版人ヘンリー・コルバーンも三巻本商法を始め、1825年は年間6作品であった三巻本は、1828年には30作、翌1829年には39作と急増させた。コルバーンによる三巻本は八折り判で、価格水準はコンスタブルのものに倣っていた。また、三巻本よりは稀だが全2巻の二巻本が発行されたこともあった。 この価格とフォーマットは、1894年までおよそ約70年間にわたり変更されることなく維持された[13]。
長編小説を最初から全3巻に分冊して高額で販売することは当時の物流と出版業の状況によく合っていた。 当時、書籍の印刷・製本にかかる費用は比較的高額であったため、分冊本を除けば、上記の通り貸出図書館に販売することが一般的であった。ここであえて最初から全3巻に分冊すると貸本業者としては1作品で3冊分の利益を得ることができるために1冊の価格が高くとも需要があり、販売することができた。 また、高値で安定的に売れることは出版社と著者の双方が、比較的限られた販売部数から利益を得ることを可能とした。 三巻本の発行数は通常1000部以下であり、それを超えることは非常に珍しかった。また、正式な出版前に貸出図書館に予め販売されていることが多かった[14][11]。 この販売形態は確実に利益を得られるモデルであったものの、利幅は限定的であり、したがって出版社と著者はできるだけ作品を執筆することが望まれた[11]。 他にもヴィクトリア時代中期の作品に見られた、複雑なプロットが最終的に結婚相手や財産相続によって解決される展開が、この形式によく適していた。
19世紀末でも三巻本は年100作品を超えるほど販売されていたが、1894年を境に急速に姿を消した。 当時の最大手の貸本業であるミューディーズとW・H・スミスが、1セット複巻の作品は1巻あたり4シリングまでしか支払わないと通達したためであった。これは、当時の商慣習として成立していた、慣例としての割引[15]と、12冊分の価格で13冊を納品すること[16]も維持させた上での要求であった[17]。 これにより貸出図書館向けの三巻本の発行は終了した[6]。
構成・販売形態

一般的な三巻本は、15万から20万語で合計約900ページであり、平均的な長さは45章で16万8000語であった。 作者は出版人と予め規定されたページ数で契約を結ぶことが一般的であった。もしページ数が足りない場合には、加筆を求められたり、あるいは章を分割させることによって、見出しページとして1ページ分を消費するといった方法が取られた。 例えば女性小説家ローダ・ブロートンは、1880年の長編小説『Second Thoughts』(直訳:再考)にあたって、2巻分の長さで750ポンドを提示されていたが、もし3巻にできるのであれば、1200ポンドを支払うと提示された[19]。
三巻本の特徴は高価なことであったが再版にあたってはこの限りではなかった。基本的に1年後に単巻版を再販し、その価格は一般的な6シリングであった[20]。 さらにその単巻版も再版されるごとに価格を下げるのが普通であり、単巻版の第2版は一般に3シリング6ペンス[2]、さらに鉄道駅舎に併設された売店(キオスク)向けであるイエローバック版は2シリングであった[21] 。 例えばベントレー社のような出版社は多くの作品の廉価版を合冊した復刻版を出版することもあり、この価格は1847年に1巻5シリング、1849年に3シリング6ペンスまたは2シリング6ペンスで販売された。さらに1852年には鉄道図書館版(Railway Library)として1巻1シリングのものまで販売された[22]。
ただし、逆に言えば最新の書籍を読みたい者は貸出図書館を通して三巻本を借りるしかなかった[4]。 この廉価版発売までの時間差は、貸出図書館は廉価版の発行直前に、2巻目を貸出停止にし、それを貸すのではなく販売するという新しいビジネスをもたらした。一方の出版社もまた復刻版も分冊すべきか、あるいはそもそも復刻版を出すべきかの判断材料として、貸出停止された書籍の販売量を確認していた[23]。
三巻本が主流な時期でもすべての書目がこの形式で出版されていたわけではない。例えば児童向け小説は常に単巻であった。基本的に三巻本は成人向け書籍であり、リチャード・ジェフリーズの児童向け小説は1882年に例外的に三巻本で出版されたが、1904年に再版にあたって序文を務めたE・V・ルーカスは、本来の読者対象であった少年たちの元に届かなかったと述べている[24]。また、英国本土以外で発行された植民地版は、通常、単巻であった[23]。
20世紀以降
三巻本の時代は1894年に事実上終わったが、その後も1つの長編小説作品を2巻以上に分冊して出版される例はある。
例えばJ・R・R・トールキンの『指輪物語』は全3巻で出版され、現代では三部作(トリロジー)とみなす場合もあるが、トールキン自身は1つの長編小説という認識であり、厳密には分冊である[25][26][27]。また、ジョン・クーパー・ポウイスの作品では『Wolf Solent』(1929年)と『Owen Glendower』(1940年)は前後編の二巻本として出版された。 村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』(1994年)や『1Q84』(2009-2010年)も3巻に分冊された形として出版されている。