三明寺古墳
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所属
向山古墳群
| 三明寺古墳 | |
|---|---|
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石室開口部 | |
| 所属 | 向山古墳群 |
| 所在地 | 鳥取県倉吉市巌城(字三明寺) |
| 位置 | 北緯35度26分27.30秒 東経133度49分55.95秒 / 北緯35.4409167度 東経133.8322083度座標: 北緯35度26分27.30秒 東経133度49分55.95秒 / 北緯35.4409167度 東経133.8322083度 |
| 形状 | 円墳(または方墳・多角形墳) |
| 規模 |
直径18m 高さ6m |
| 埋葬施設 | 両袖式横穴式石室 |
| 築造時期 | 7世紀初頭(または7世紀前半) |
| 史跡 | 国の史跡「三明寺古墳」 |
| 地図 | |
三明寺古墳(さんみょうじこふん)は、鳥取県倉吉市巌城(いわき)にある古墳。形状は円墳(または方墳・多角形墳)。向山古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている。
鳥取県中部、倉吉市街地から北方の向山丘陵の中腹に築造された古墳である[1][2]。石室は古くから開口していたことが知られる。
墳形は円形で、直径18メートル・高さ6メートルを測るとされるが、方墳(または多角形墳)とする説もある[1][2]。埋葬施設は切石の両袖式横穴式石室である。石室の玄室内において、九州地方で見られるような石屋形状の石囲いが認められる点で特色を示す。副葬品は詳らかでない[3]。
築造時期は、古墳時代終末期の7世紀初頭[2](または7世紀前半[1])頃と推定される。福庭古墳(倉吉市福庭)とともに倉吉地方における代表的な終末期古墳であるとともに、九州地方との交流が推察される点で重要視される古墳である。
埋葬施設
文化財
国の史跡
- 三明寺古墳 - 1931年(昭和6年)11月26日指定[4]。

