三木壽子
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- 1925年 東京都北多摩郡生まれ
- 1947年 東京女子高等師範学校卒業
- 1947-49年 同志社女子中等高等学校教諭
- 1952年 京都大学理学部植物学科卒業
- 1952-62年 同大学院
- 1962-67年 東京大学理学部植物学科研究生
- 1967-68年 ニューヨーク州立大学バッファロー校留学
- 1964-93年 神奈川歯科大学教授
- 1988-2003年 Sexual Plant Reproduction(ドイツSpringer社)編集委員
- 1993-96年 日本花粉学会会長(2期)
夫、広重徹との出会いと別れ
- 1949年、この年の京都大学理学部に女性は壽子一人しかいなかったため、良く目立ったことで、自治会役員となる。物理学科の自治会委員には、後に夫となる広重徹がいた。
- 2年生の頃、民主主義科学者協会の学生部を作るから一緒にやろうと徹に誘われ、全国の国立大学の学生との連絡係を務めた。徹はなにかと理由を付けては壽子の研究室を訪れた。壽子はそれが煩わしいと思うこともあったという。
- 大学院1年生の時に、徹よりプロポーズされ、壽子は「一生、三木姓のまま仕事を続ける、普通の主婦みたいなことはできないけれどそれで良いか?」と念を押しての結婚だった。

新婚旅行にて 
長男を身籠った頃 - 結婚して関東に転居後も、徹は夜も仕事を行う人であり、壽子は朝早くから家を出て実験の日々だった。朝、夫を少しでも寝させようと、目覚まし代わりの真空管式ラジオの電源が入る「カチッ」という音がすると、音が出る前にラジオの電源を切り、夫を起こさないように、息子と静かに朝食を済ませ、そっと家を出る毎日だったという。3人で夕食を済ますと徹はすぐに仕事に掛かった。そのためほとんど会話のない毎日だった。そんな折、中学生になった息子と学校の話を楽しそうにしていると徹は「二人ともおしゃべりしていないでさっさと勉強しなさい」というような人だった。
- 1972年11月3日、仕事部屋にしていた亀戸(東京都江東区)で徹が吐血。夜中の3時に壽子は辻堂(神奈川県藤沢市)から自ら運転する車で駆けつけた。入院、手術の2年3ヶ月後、徹死去。
(物理学史ノート 第11号 2008年9月1日発行 物理学史通信刊行会編より)
- 夫の葬儀で香典を下さった 湯川秀樹博士のお宅にお礼に伺った折り、2時間程もお話しをして、奥様が大阪府立大手前高等女学校の先輩だった事が判明した事があった。
共著・分担執筆
- 『花粉学事典(新装版)』日本花粉学会編、朝倉書店、2008年 ISBN 978-4254171389

