三村仁司
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経歴
1948年、兵庫県印南郡志方町(現:加古川市)生まれ[1][2]。中学時代から陸上部に所属し、陸上競技の強豪校への進学を目指す[3]。兵庫県立飾磨工業高等学校時代には陸上部キャプテンを務め[3]、長距離走選手としてインターハイなどに出場[2]。練習中に感じたシューズの摩耗の早さから、丈夫で長持ちするシューズを作ることを志す[3]。大学からの競技続行の誘いを断り、高校卒業後の1966年、オニツカ株式会社(現:アシックス)に入社[3][4]。第二製造部を経て、1971年、入社当時から希望していた研究室に配属される[3]。
1974年、別注シューズの製作を開始し[1][2][5]、陸上競技にとどまらず、野球、サッカー、テニス、バレーボール、バスケットボール、ボクシング、モータースポーツ、近代五種など多岐にわたる競技のシューズを手がける[4][5]。君原健二、瀬古利彦、谷口浩美、森下広一、高橋尚子、有森裕子、野口みずき、イチロー、長谷川穂積、尾崎好美、小崎まり、青木宣親、内川聖一、香川真司、木﨑良子などのシューズ製作を担当した[1][2]。ただし、2004年以降、イチローのスパイクとトレーニングシューズは、三村や神戸・高塚台の工学研究所ではなく、鳥取・境港のアシックス山陰で製造されていた。
2004年、厚生労働省「現代の名工」表彰[5]。2006年、黄綬褒章受章[5]。
2009年、アシックスを定年退職。兵庫県高砂市米田町に[2]、シューズ工房「M.Lab(ミムラボ)」を設立し[5]、代表取締役に就任。2010年1月、アディダスジャパン株式会社と専属アドバイザー契約締結を発表し[6]、ミムラボで制作されるすべての競技シューズをアディダス製品として開発することとなった。しかし、2017年春には契約解消している[7]。2018年1月1日にニューバランスの専属アドバイザーに就任した[5][8]。
エピソード
著書
- 『金メダルシューズのつくり方』情報センター出版局、2002年2月、ISBN 978-4-7958-3722-5
出演番組
- 平成日本のよふけ(フジテレビ系列、2000年11月20日)
- 夢の扉 〜NEXT DOOR〜(TBS系列、2007年(平成19年)8月19日)
- みらいのつくりかた(テレビ東京系列、2014年6月12日)