三津屋古墳
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位置
北緯36度26分6.15秒 東経139度1分32.52秒 / 北緯36.4350417度 東経139.0257000度座標: 北緯36度26分6.15秒 東経139度1分32.52秒 / 北緯36.4350417度 東経139.0257000度
形状
八角墳
規模
対角長23.8m
高さ4.5m
高さ4.5m
| 三津屋古墳 | |
|---|---|
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墳丘・石室開口部 | |
| 所在地 | 群馬県北群馬郡吉岡町大字大久保2037-1(字三津屋) |
| 位置 | 北緯36度26分6.15秒 東経139度1分32.52秒 / 北緯36.4350417度 東経139.0257000度座標: 北緯36度26分6.15秒 東経139度1分32.52秒 / 北緯36.4350417度 東経139.0257000度 |
| 形状 | 八角墳 |
| 規模 |
対角長23.8m 高さ4.5m |
| 埋葬施設 | 両袖式横穴式石室 |
| 築造時期 | 7世紀後半 |
| 史跡 | 群馬県指定史跡「三津屋古墳」 |
| 地図 | |

墳丘

石室
群馬県中部、榛名山東麓において、利根川に注ぐ午王頭川の左岸に築造された古墳である。これまでに石室は大きく破壊を受けているほか、1993年(平成5年)に発掘調査が実施されている。
墳形は正八角形[1]。墳丘は2段築成で、厚さ10センチメートル程度の版築状の水平積み上げによって構築される[1]。墳丘外表には葺石が認められるほか、墳丘周囲には周濠が巡らされる[2]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、玄室奥壁を八角形の中心として南方向に開口する。石室は大きく破壊を受けているが、自然石乱石積みによって構築されて一部には切石を使用したと見られ[2]、前面には前庭部を付す[1]。盗掘のため副葬品は詳らかでない[2]。
この三津屋古墳は、古墳時代終末期の7世紀後半頃の築造と推定される[2]。八角墳は段ノ塚古墳(奈良県桜井市、舒明天皇陵)・御廟野古墳(京都府京都市、天智天皇陵)・野口王墓古墳(奈良県明日香村、天武・持統天皇合葬陵)など当時の天皇陵クラスの古墳で採用される墳丘形態であり、当地の豪族の特異性を示す点で貴重な古墳になる。また本古墳の北西にある南下古墳群は上毛野地域において総社古墳群(前橋市)に次ぐ有力首長墓群であり、本古墳と合わせて畿内ヤマト王権による上毛野地域の中央集権化との関係を考察するうえで重要視される[3]。
遺跡歴
墳丘
文化財
脚注
参考文献
(記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(吉岡町教育委員会、2021年設置)
- 三津屋古墳パンフレット(吉岡町教育委員会、2021年) - リンクは吉岡町教育委員会。
- 大塚初重、柳下恵理子「三津屋古墳」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館。
- 荒木勇次「三津屋古墳」『続 日本古墳大辞典』東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991。
- 「三津屋古墳」『日本歴史地名大系 10 群馬県の地名 刊行後版(ジャパンナレッジ収録)』平凡社、2006年。ISBN 4582490107。