三浦浩

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三浦 浩(みうら ひろし、1930年10月19日 - 1998年3月24日)は、日本の作家[1]。東京生まれ[2][3]

父はコーヒー店主の三浦義武。父親の出身地である、島根県浜田市の旧制浜田中学(現在、島根県立浜田高等学校)を卒業。1949年に京都大学文学部英文科に入学。同学在学中には高橋和巳小松左京北川荘平らと京大作家集団に在籍。この時期の活動については、のちに『記憶の中の青春 -小説・京大作家集団-』として小説化を行っている。

1953年に同学を卒業し産経新聞に入社、文化部に所属した。当時の文化部長は福田定一(のちの司馬遼太郎)であった[4]。在職中に休職しノースウェスタン大学に一年間留学、オックスフォード大学にも二年間の留学経験がある[4]。その後、文化面編集部長、論説委員などを歴任した。

産経新聞在職中より文筆活動を始め、1977年7月に上梓した『優しい滞在』が自身二度目となる第78回直木賞候補作となった。この作品は日本推理作家協会賞候補にもノミネートされている。78回直木賞は受賞作なしと決まったが、選考委員の柴田錬三郎は三浦の作品を強く推したと言われる[5]。直木賞にはこの後もつごう四作を送り込んでいる。

1985年に産経新聞を定年退職し、執筆活動に専念した。

司馬遼太郎との親交が厚かった三浦は、1996年2月に司馬が死去すると鎮魂歌ともいうべき『菜の花の賦 -小説・青春の司馬さん-』『レクイエム 司馬遼太郎』(三浦編)を発表している。

三浦は喘息の持病があったが、1997年春頃から大病を患い壮絶な闘病生活を送った。病床で妻に口述筆記してもらった『司馬遼太郎とそのヒーロー』が絶筆となり[6]、1998年3月24日に満67歳で没した[1]

「国際的なスケールを持つサスペンス作家」として評価されている[7]

著書リスト

脚注

外部リンク

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