三田氏宗 From Wikipedia, the free encyclopedia 三田 氏宗(みた うじむね、生没年不詳)は、武蔵国の国人。勝沼城主。子に三田政定がいる。 三田氏は武蔵国杣保(現在の青梅市周辺)に根を張った国人で、平将門の後裔と称していた。 室町時代には関東管領の山内上杉氏と主従関係にあったようで、氏宗は上杉顕定の元で活動している。長享の乱の際には長尾能景が扇谷上杉氏方から奪い取った椚田城(初沢城)の城主になっている。 連歌師宗長の「東路の津登」(あづまじのつと)には、宗長が永正6年(1509年)8月に勝沼城の氏宗の元を訪れ、数日間滞在したことが見える。氏宗は子の政定と共に宗長を手厚くもてなし、宗長滞在中にたびたび連歌の会を催していることから、和歌の嗜みもあったと思われる。 また、氏宗は文亀年間に天寧寺を開基し、海禅寺・虎柏神社などの領内の社寺を保護を積極的に行っている。天寧寺には子の政定が大永元年(1521年)に奉納した鐘があり、それには「大旦那平朝臣将門之後裔三田弾正忠政定」と刻まれている。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles