長尾能景
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寛正5年(1464年)、長尾重景の子として誕生。越後守護である上杉房定・房能の二代に仕えた[3]。房定の死後、事実上越後の実権を握り、守護の権力強化を目論む房能とはしばしば対立したが、名目上はあくまで守護代の立場に留まっていた。
永正元年(1504年)の立河原の戦いで大敗を喫し、危機的状態にあった房能の実兄である関東管領・上杉顕定を救援するために関東地方に出兵し、疲弊した扇谷上杉氏の上杉朝良を攻撃する。そして、顕定が河越城を攻略するなど、朝良を追い詰め、朝良が顕定に降伏することにしたとき、能景はその仲介を行った[4]。
永正3年(1506年)9月、能景は畠山尚順(卜山)の要請を受けて、一向一揆との戦いのため越中国へ出兵するが[5]、般若野の戦いで戦死した。越中守護代・神保慶宗の裏切りによるとされる。