三縁寺
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位置
北緯35度4分17.74秒 東経135度47分42.31秒 / 北緯35.0715944度 東経135.7950861度座標: 北緯35度4分17.74秒 東経135度47分42.31秒 / 北緯35.0715944度 東経135.7950861度
山号
法輪山
宗派
浄土宗
| 三縁寺 | |
|---|---|
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| 所在地 | 京都府京都市左京区岩倉花園町606番地 |
| 位置 | 北緯35度4分17.74秒 東経135度47分42.31秒 / 北緯35.0715944度 東経135.7950861度座標: 北緯35度4分17.74秒 東経135度47分42.31秒 / 北緯35.0715944度 東経135.7950861度 |
| 山号 | 法輪山 |
| 宗派 | 浄土宗 |
| 本尊 | 阿弥陀如来(伝慈覚大師作) |
| 創建年 | 天正年間 |
| 法人番号 | 8130005000124 |
墓所
浄土宗法輪山三縁寺には墓地があり、目印の鳥居がある見晴らしのよい高台に池田屋事件で亡くなった維新志士を中心に宮部鼎蔵、吉田稔麿、松田重助、大高又次郎、北添佶麿、望月亀弥太、杉山松助、石川潤次郎、広岡浪秀らの墓がある[3]。経緯としては、池田屋事件後、幕府を恐れて多くの寺が亡くなった維新志士の遺体引き取りを拒んだ。遺体は一時的に三条大橋東の近くにあった三縁寺の本堂や縁側に安置した。当時、埋葬に関わった僧は、吉永賢融で20歳の若さだった。寺も黒谷派浄土宗法輪三縁寺と称していた。現在は知恩院派となっている[4]。なお池田屋事件の遺体安置の際は、繩手三条、小川亭という名の料理屋の女主人、小川テイ女が尽力した。小川亭は、肥後藩はじめ尊王攘夷派の志士たちを普段から手厚く世話をしていたとされる[5]。1979年(昭和54年)には、寺の移転の際に、読経後、墓所の発掘調査が行われている[6]。墓所の移転は、檀家の反対もなかったうえ、佛教大学史学科より墓所調査のための調査員派遣が決まったこと、特に史跡として文化財等に指定されていなかったことが、移転を後押ししたとされる[7]。
- 池田屋事変殉難烈士の墓の石柱
- 宮部松田の墓
- 宮部松田の墓の裏面
- 三縁寺の墓所
主な行事
- 6月4日 - 池田屋殉難志士の慰霊法要