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三重カンツリークラブ

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所在地 日本の旗 日本
三重県三重郡菰野町大字千草7190番地
開業 1960年昭和年)10月2日
運営 メンバーシップコース
三重カンツリークラブ
Mie Country Club
三重カンツリークラブ
三重カンツリークラブの空中写真。
2009年4月30日撮影の4枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
所在地 日本の旗 日本
三重県三重郡菰野町大字千草7190番地
座標: 北緯35度1分30.5秒 東経136度28分54.97秒 / 北緯35.025139度 東経136.4819361度 / 35.025139; 136.4819361
概要
開業 1960年昭和年)10月2日
運営 メンバーシップコース
設計 保田 与天
運営者 株式会社 三重カンツリークラブ
コース

OUT IN
HOLEPARYARDHOLEPARYARD
1 4344 1 4365
2 4371 2 4361
3 3192 3 5475
4 4396 4 4370
5 4396 5 3167
6 5523 6 4447
7 3185 7 5570
8 5542 8 3180
9 4358 9 4343
363307 363278

その他
公式サイト 三重カンツリークラブ
テンプレートを表示

三重カンツリークラブ(みえカンツリークラブ)は、 三重県三重郡菰野町にあるゴルフ場である。

三重県三重郡菰野町大字千草は、戦前陸軍千草演習場で、戦後、演習場は地元の菰野町に払下げられ、菰野町千種財産区が生まれた[1]1957年昭和32年)、菰野町役場、千種財産区管理会、三重交通株式会社の間で財産区の売買、賃貸借契約が結ばれ、それに伴ってゴルフ場計画が持ち上がった[1]

1958年(昭和33年)5月15日、ゴルフ場の設計測量のため、菰野町にコース設計者の保田与天が助手の吉田雄を伴って訪れた[1]。コースの建設予定地の千種財産区は、標高1200メートルの鈴鹿山脈の主峰・御在所岳を背景に伊勢湾が遠望でき、域内を三滝の渓流がめぐる刈場だった[1]

1959年(昭和34年)2月6日、新たなゴルフ場の建設に向けて経営母体「株式会社三重カンツリークラブ」が設立され、三重交通社長の阿部正敏が社長に就任した[1]1960年(昭和35年)7月20日、先行して進めていたコースの造成工事が完成した[1]。正式開場前に、ゴルフ場運営をプライベート制にするかパブリック制かが検討され、保田与天が「川奈ホテルゴルフコース1928年(昭和3年)開場、設計・大谷光明C・H・アリソン)に習って少数の会員を募集、運営の主体を置くべき」と強調し、セミパブリックのリゾートコースに決まった[1]

1959年(昭和34年)11月3日、クラブ名称「湯の山ゴルフ倶楽部」が発足された[1]1960年(昭和35年)10月2日、正式開場された。保田与天が名誉書記に就任し、運営を担当することになった[1]1966年(昭和41年)、クラブ名称の湯の山ゴルフ倶楽部を「三重カンツリークラブ」に名称変更した[1]。保田与天は、1969年(昭和44年)1月9日、80年の生涯終えるまで、三重カンツリークラブがある菰野町を離れることはなかった[1]

所在地

〒510-1251 三重県三重郡菰野町大字千草7190番地

コース情報

  • 開場日 - 1960年10月2日
  • 設計者 - 保田 与天
  • 面積 - 660,000m2(約19.9万坪)
  • コースタイプ - 丘陵コース
  • コース - 18ホールズ、パー72、6,585ヤード、コースレート71.7
  • フェアウェー - コウライ
  • ラフ - ノシバ
  • グリーン - 2グリーン、ベント
  • ハザード ^ バンカー54、池が絡むホール8
  • ラウンドスタイル - キャディ・セルフ選択可、キャディ付プレーとセルフプレー混成、1組4人が原則、状況によりスリーサム・ツーサム可
  • 練習場 - 20打席250ヤード
  • 休場日 - 12月31日、1月1日、9月頃メンテナンス休場日有[2][3]

クラブ情報

ギャラリー

交通アクセス

鉄道

道路

脚注

関連文献

関連項目

外部リンク

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