上アウラキ首長国
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| 上アウラキ首長国 | |||||
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| مشيخة العوالق العليا | |||||
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6が上アウラキ首長国 | |||||
| 公用語 | アラビア語 | ||||
| 首都 | サイード | ||||
| シャイフ | |||||
| 1871年 - 1883年 | アミール・ファリド・イブン・ナシール・アル=ヤスラミ・アル=アウラキ | ||||
| 1958年 - 1967年 | アミール・アブド・アッラー・イブン・ムフシン・アル=ヤスラミ・アル=アウラキ | ||||
| 人口 | |||||
| 1931年 | 30000人 | ||||
| 変遷 | |||||
| イギリスとの諮問条約締結 | 1904年 | ||||
| 滅亡 | 1967年 | ||||
| 通貨 |
東アフリカ・シリング 南イエメン・ディナール | ||||
| 現在 |
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上アウラキ首長国(じょうアウラキしゅちょうこく、アラビア語:مشيخة العوالق العليا、ラテン文字転写:Mashyakhat al-‘Awālaq al-‘Ulyā)は、南アラビアに存在した首長国(シャイフ国)である。
のちにイギリスの保護国となり、アデン保護領、南アラビア首長国連邦、南アラビア連邦の構成国となった。
首都はサイードであった。
上アウラキ首長国は、18世紀ごろに西の上アウラキ・スルタン国から独立したとされる。1903年にイギリスは上アウラキ首長国と条約を締結し、月250ルピーの支払いを約束した[1]。
1904年に条約は批准され、上アウラキ首長国はイギリスの保護国となった[2]。1959年に南アラビア首長国連邦が発足すると現加盟国の一つとなった。
1963年に南アラビア首長国連邦に代わって南アラビア連邦が成立するとその加盟国となった。1967年に最後のシャイフが追放され、新たに成立した社会主義国のイエメン人民民主共和国(南イエメン)の一部となり、滅亡した[3]。