上原しん From Wikipedia, the free encyclopedia 上原 しん(うえはら しん、1827年〈文政10年〉- 1855年4月18日〈安政2年3月2日〉)は、江戸時代後期(幕末)の日本の女性。儒学者・上原立斎の娘で、同じく儒学者で小浜藩士の梅田雲浜の最初の妻。 近江国高島郡(現・滋賀県高島市)出身[1]。本姓は上原、名は信子ともいう。[要出典] 18歳の時に[要出典]梅田雲浜と結婚[1][2]。これは父の立斎が雲浜の人物を見込んで嫁がせたものであった[1]。 結婚後は夫の尊皇攘夷活動を支える[2]。しかし、赤貧の中で2児を残して安政2年3月2日病死した。数え年29歳没[2]。 雲浜はその貧困のありさまを詩で「妻は病床に臥し,児は飢えに泣く」と詠んだ。しんは「樵りおきし軒のつま木も焚きはてゝ拾ふ木の葉のつもる間ぞなき」という歌を残している。[要出典] 脚注 1 2 3 ★上原立斎★ - 高島市立図書館(高島ものしり百科・先人たち) 1 2 3 歴史散歩 その(2)神出 - 園城寺(三井寺、「車路。歴史の重みと貴人を乗せた牛車が行く」の箇所を参照) 参考文献 出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。 記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2023年12月) 佐伯仲蔵『梅田雲浜遺稿並伝』有朋堂書店、1929年 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集 Related Articles