上友延 From Wikipedia, the free encyclopedia 上 友延(うえ[1] の とものぶ、生没年不詳)は、平安時代中期の官人。姓は村主。官職は蔵人所小舎人。『権記』では一度友信と表記されている。 蔵人所の小舎人として仕えていた。しかし、長保元年(999年)丹波国に派遣を命ぜられた友延は国に下向せずに京にある丹波守・橘経国の邸宅に到り妻子を責めるという行為に及ぶ。よって、11月11日に仕所に拘禁されたが、13日には赦免されている。 長保元年(999年):これ以前より蔵人所小舎人を務める。 11月11日頃:丹波国に遣わされるが、国に下向せず守・橘経国の宅に赴き妻子を責める[2]。 11月11日:散位・平理義が左大臣・藤原道長の命で友延を早く召還させるようにという由を伝達する[2]。 同日:左近看督使・津守宗正が召され、友延を仕所に拘禁される[2]。 11月13日:友延の放免を命じられた蔵人所出納・尾張如時によって放免される[3]。 脚注 ↑ 倉本一宏『藤原行成「権記」全現代語訳(上)』p253。 1 2 3 『権記』長保元年11月11日条 ↑ 『権記』長保元年11月13日条 Related Articles