上杉正一郎
From Wikipedia, the free encyclopedia
東京に生まれる[1]。父・上杉慎吉は、東京帝国大学法学部教授で、天皇主権説に立つ憲法学者であった[4]。なお、弟・上杉重二郎は、長じて労働運動史の研究者となり、北海道大学教授などを務めた[5]。
1930年に第一高等学校に入学し、1933年に東京帝国大学経済学部に進んだ[1]。学生時代の上杉は、日本共産青年同盟(共青)に参加し、滝川事件に関連して1934年と1935年の2度、検挙勾留された[4]。2度目の勾留から1935年7月に釈放された際に、亡父の同僚であった中田薫の助言によって、処分を回避するべく、日付を遡った同年3月付で依願退学することとなった[4]。
1936年に京都帝国大学経済学部に入学、1939年に京都帝国大学を卒業して満洲国に渡り、大連市事業調査局に勤務した[1]。、
勤務先の閉鎖に伴い、1940年から1941年にかけて京都帝国大学経済学部大学院に在籍した後、再び大連市に戻って1941年から大連市調查室勤務となった[1]。1945年5月から敗戦時の8月まで兵役に就いていたが、除隊以降は大連市政府教育局勤務となり、1947年4月に帰国した[1]。
帰国後は、商工省調査統計局勤務や農林統計協会嘱託を経て、1952年5月に大阪市立大学商学部講師となり、その後、助教授にに昇任した[1]。
1959年には、東京経済大学教授に転じ[1]、1961年11月には、博士論文「統計の階級性に関する研究」により、北海道大学から経済学博士を取得した[6]。
東京経済大学では、学務課長などを務めたが、本来の定年退職より2年年早く、1981年に定年退職扱いで退職したが、その理由は、難病との闘病であったという[3]。退職後の同年4月には、東京経済大学から名誉教授の称号を贈られた[1]。
没後の1991年11月25日には、経済統計学会の有志などが中心となって編まれた、『追想 上杉正一郎』が刊行された[2]。