上杉正一郎

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上杉 正一郎(うえうぎ しょういちろう、1912年8月4日[1] - 1990年[2])は、日本統計学者マルクス経済学者。長く東京経済大学で教鞭を執り、同大学名誉教授となった。

上杉は、第二次世界大戦後の経済学界において、「社会統計学派の指導的理論家」であったとされる[3]

東京に生まれる[1]。父・上杉慎吉は、東京帝国大学法学部教授で、天皇主権説に立つ憲法学者であった[4]。なお、弟・上杉重二郎は、長じて労働運動史の研究者となり、北海道大学教授などを務めた[5]

1930年第一高等学校に入学し、1933年東京帝国大学経済学部に進んだ[1]。学生時代の上杉は、日本共産青年同盟(共青)に参加し、滝川事件に関連して1934年1935年の2度、検挙勾留された[4]。2度目の勾留から1935年7月に釈放された際に、亡父の同僚であった中田薫の助言によって、処分を回避するべく、日付を遡った同年3月付で依願退学することとなった[4]

1936年京都帝国大学経済学部に入学、1939年に京都帝国大学を卒業して満洲国に渡り、大連市事業調査局に勤務した[1]。、

勤務先の閉鎖に伴い、1940年から1941年にかけて京都帝国大学経済学部大学院に在籍した後、再び大連市に戻って1941年から大連市調查室勤務となった[1]1945年5月から敗戦時の8月まで兵役に就いていたが、除隊以降は大連市政府教育局勤務となり、1947年4月に帰国した[1]

帰国後は、商工省調査統計局勤務や農林統計協会嘱託を経て、1952年5月に大阪市立大学商学部講師となり、その後、助教授にに昇任した[1]

1959年には、東京経済大学教授に転じ[1]1961年11月には、博士論文「統計の階級性に関する研究」により、北海道大学から経済学博士を取得した[6]

東京経済大学では、学務課長などを務めたが、本来の定年退職より2年年早く、1981年に定年退職扱いで退職したが、その理由は、難病との闘病であったという[3]。退職後の同年4月には、東京経済大学から名誉教授の称号を贈られた[1]

死去後、遺骨は多摩霊園にある上杉家之墓に納められた[5]

没後の1991年11月25日には、経済統計学会の有志などが中心となって編まれた、『追想 上杉正一郎』が刊行された[2]

おもな著作

単著

  • マルクス主義と統計、青木書店(青木文庫)、1951年
  • 経済学と統計、青木書店、1959年(改訂新版:1974年)

編著

家族

脚注

関連文献

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