Wikiwand AI

上杉綱勝

江戸時代前期の大名 From Wikipedia, the free encyclopedia

上杉 綱勝(うえすぎ つなかつ)は、江戸時代前期の大名。出羽国米沢藩3代藩主。山内上杉家19代当主。

時代 江戸時代前期
改名 卯松(幼名)→実勝→綱勝
概要 凡例上杉綱勝, 時代 ...
 
上杉綱勝
上杉綱勝像(上杉家歴代藩主像より、上杉博物館蔵)
時代 江戸時代前期
生誕 寛永15年12月22日(1639年1月25日)
死没 寛文4年閏5月7日(1664年6月30日)
改名 卯松(幼名)→実勝→綱勝
別名 通称:喜平次
戒名 上性院瑛心
官位 従四位下、播磨守、侍従
幕府 江戸幕府
主君 徳川家光→家綱
藩 出羽米沢藩主
氏族 上杉氏
父母 父:上杉定勝、母:生善院(近衛家家司斉藤本盛娘)
兄弟 徳松、綱勝、国松、
徳姫(長松院、前田利治正室)、
虎姫(柳線院、鍋島光茂正室)、
亀姫(法泉院、前田利明正室)、
三姫(吉良義央正室)
妻 正室:保科正之長女・媛姫
継室:四辻公理娘・富姫 [注釈 1]
子 養子: 綱憲
テンプレートを表示
閉じる

生涯

寛永15年12月22日(1639年1月25日)、2代藩主・上杉定勝の子として誕生した。初名は実勝(さねかつ)、のちに4代将軍・徳川家綱より偏諱を受けて綱勝に改名 [注釈 2]。正保2年(1645年)、父・定勝の死により藩主となる。承応2年(1653年)12月11日、従四位下に叙し、侍従に任官。播磨守を兼任。慶安2年(1649年)に江戸城石垣普請を命じられ、藩の財政は悪化の一途を辿る。

媛姫とは幕府の斡旋で婚姻する[1]。万治2年(1659年)に媛姫が19歳で死去し、継室を迎えるが、その後寛文4年閏5月7日(1664年6月30日)に嗣子なく、世嗣も指名しないまま急死する。享年26。本来ならば上杉氏は無嗣子断絶となるところであったが、綱勝の岳父に当たる保科正之の仲介などもあって、綱勝の妹・富子が嫁いでいた高家・吉良義央(清和源氏の名門であり、扇谷上杉家・八条上杉家の女系子孫でもある)の長男・三之助が末期養子として綱勝の跡を継ぐことで家名存続を許された。またこの時、上杉家は米沢藩の領域のうち信夫郡(福島8万石)伊達郡(梁川4万石)と置賜郡の一部(屋代3万石余)計15万石を収公され、石高は30万石から15万石に減少されたにもかかわらず、保科正之による要請により藩士の召し放ちが不徹底になったため、財政難に拍車がかかることとなった。

綱勝の死因について

綱勝の死因について、吉良義央による毒殺説がある。これは綱勝の発病が妹の嫁ぎ先の吉良家を訪れた直後で、病状が悪化していることから唱えられた説で、小説や赤穂事件の解説書でも取り上げられることが多い。綱勝の病状については当時の上杉家江戸家老千坂高治の「千坂兵部日記」(「削封日記 天」)[2]に詳しく記されている。

一、閏五月朔日、夜半より御腹中お痛み、(藩医)道是がはっとくえんを御服用させ申候へば、夜明迄七、八度嘔吐成され
一、二日晩から三日晩まで幕府医師内田玄勝が懸命の治療にあたった。
一、四日から腹部が張って苦しみ、玄勝に代わって井上玄哲の治療、山下友仙が召しだされ治療したが、腹が張って苦痛つよし。
一、五日にお嘔吐、小豆の煮汁のようなものをお吐き成され、憔悴ひどし。
一、六日昼、御床の上にて大便通三度通る。六日、夜中より御手足ひえ、御脈にむら出る。
一、二日から六日までおも湯を差し上げた。
一、七日卯の刻(午前六時)往成被成也

ただし、『山形県史』ではその病状から、綱勝の死因は現在の穿孔性胃潰瘍による病死ではないかと推定しており[3]、綱勝は以前から病弱で「会津松平家譜」によると、万治年中にも危篤になったことがあり、このときは井伊直孝らが上杉家後継者として保科正之の子、正純を据える案が正之に打診されたが、正之は断ったとしている。

政治

治世中は開地の検地など貢租制度整備を推進した。慶安4年(1651年)に青苧検地を実施し、藩の買い上げ総額を530駄とする。また、明暦3年(1657年)には納方新帳を編成した。

思想

皇室に対し、強い畏敬の念を持ち、後光明天皇の勅命(口宣)を生涯大切にした。また、日本の伝統的な学問・思想を深く学ばれていた天皇の影響を受け領内のキリシタン弾圧を強化した(米沢藩は比較的キリスト教に寛容で、京都から追放され米沢藩2代藩主・上杉定勝を頼って米沢へ身を寄せた者を千石取りの上士に取り立てたりしていた[4]。) 加えて承応2年(1653年)12月、幕府老中の命により一門の山浦光則を斬首、仏教徒として米沢極楽寺に埋葬し子女は出家させため、家中は動揺した。

系譜

遺品

  • 『後光明天皇口宣案』 - 侍従に任じる勅命を記したもの。(米沢市上杉博物館蔵)

著作・書状

  • 『上杉綱勝書状』 - 全十巻(巻子仕立)。千坂兵部や妹・梅嶺院(吉良義央正室)に宛てた書状百余通をまとめ製本。(市立米沢図書館蔵)

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks