上海紡織
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概要
1894年(明治27年)の綿輸出関税撤廃によって[2]、上海で生産された綿紡績品は無税で中国大陸各地へ出荷できると考えられており、三井物産は上海進出への準備を進めていた[3]。しかし、上海以外に出荷するには子口半税という輸出税の半額を課されることとなり上海への進出は中止となった[3]。この当時、社長として朝吹英二、専務として成瀬隆蔵が配置されていた[3]。
1902年(明治35年)12月、三井物産上海支店長であった山本条太郎が中心となって、経営困難となっていた裕晋紗廠を買収し上海紡績第一工場としたことをきっかけに本格的な創業となった[4]。
1908年(明治41年)には興泰紗廠を買収・合併し上海紡績第二工場とし、イギリス法人として設立された。その後、イギリス法人を解散し、1920年(大正9年)7月に日本法人としての上海紡織が設立された[4]。日本法人となって以来、三井物産の資金をバックに、東洋綿花の子会社として経営されるようになった[5]。
1923年(大正12年)に第三工場、1928年(昭和3年)に第四工場を増設し、1929年(昭和4年)ガス糸工場の操業を開始した。このガス糸事業が好調となり、第三工場の大半はガス糸の生産に転換されていった[4]。
更に1930年(昭和5年)には第五工場を新設し、1933年(昭和8年)に羊毛工場として第六工場が新設され毛糸や洋服の生地も手掛けるようになった[4]。
しかし、1942年(昭和17年)に綿花や羊毛の代用となる繊維の研究・生産工場である第七工場の新設では、新たな事業が軌道に乗らなかった[4]。
上海以外では、1935年(昭和10年)に青島に進出するが日中戦争により工場が焼失し1938年(昭和13年)に再建された。また、1937年(昭和12年)に天津に進出し1941年(昭和16年)には麻袋工場も新設された[4]。