上芝古墳

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別名 箕輪町4号墳
所在地 群馬県高崎市箕郷町上芝(字本町)
位置 北緯36度23分37.65秒 東経138度57分29.55秒 / 北緯36.3937917度 東経138.9582083度 / 36.3937917; 138.9582083座標: 北緯36度23分37.65秒 東経138度57分29.55秒 / 北緯36.3937917度 東経138.9582083度 / 36.3937917; 138.9582083
上芝古墳
別名 箕輪町4号墳
所在地 群馬県高崎市箕郷町上芝(字本町)
位置 北緯36度23分37.65秒 東経138度57分29.55秒 / 北緯36.3937917度 東経138.9582083度 / 36.3937917; 138.9582083座標: 北緯36度23分37.65秒 東経138度57分29.55秒 / 北緯36.3937917度 東経138.9582083度 / 36.3937917; 138.9582083
形状 帆立貝形古墳
規模 墳丘長16m
埋葬施設 (推定)竪穴式石室
出土品 埴輪
築造時期 6世紀前半
史跡 なし
特記事項 墳丘は非現存
地図
上芝古墳の位置(群馬県内)
上芝古墳
上芝古墳
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上芝古墳(かみしばこふん)は、群馬県高崎市箕郷町上芝にあった古墳。形状は帆立貝形古墳。現在では墳丘は失われている。

群馬県中部、榛名山東南麓の丘陵性台地西端に築造された古墳である[1]1929年昭和4年)に開墾に際して発見され、発掘調査が実施されている[2]

墳形は、前方部(造出部)が短小な帆立貝形の前方後円形で、前方部を西方向に向けた[1]。墳丘は2段築成[1]。墳丘外表では、拳大から人頭大の石材による葺石や、円筒埴輪列(朝顔形埴輪含む)・形象埴輪(人物・馬形・器財埴輪)が確認されている[2]。また墳丘周囲には周溝が巡らされ、その外側に周堤が構築される[2]。埋葬施設は削平のため明らかでないが、後円部中央部において川原石を使用した竪穴式石室(竪穴式石槨)と推定される[2]。副葬品は明らかでない。

築造時期は、古墳時代後期の6世紀前半[1](または6世紀初頭[2])頃と推定される。榛名山二ッ岳の火山灰層に覆われて形象埴輪の優品が出土したことで知られるとともに、柴田常恵によって「帆立貝型」という墳形名称が初めて使用された学史上としても重要な古墳である。

遺跡歴

  • 1929年昭和4年)、開墾により発見、発掘調査(福島武雄ら。1929年に柴田常恵が報告、1932年に福島武雄が報告)。

墳丘

墳丘の規模は次の通り[2]

  • 墳丘長:16メートル
  • 後円部 直径:14メートル
  • 前方部 幅:5.5メートル

墳丘・周溝は、榛名山二ッ岳の火山灰層に覆われた状態で確認されている。墳丘中段外縁には、円筒埴輪列(朝顔形埴輪含む)が帆立貝形に約150本樹立されている[1]

形象埴輪は、前方部(造出部)の方形埴輪列の内側からほとんどが出土している。前方部の中央縦列に馬飼を伴う飾馬2体が配され、平行して人物1体と武人2体が並び、後円部近くに袈裟衣の女性や武人ら4体が外向きに配される[2]

出土品

埴輪 挂甲武人(左)・杯を捧げる女子(右)東京国立博物館蔵。左は群馬県立歴史博物館企画展示時に撮影。 埴輪 挂甲武人(左)・杯を捧げる女子(右)東京国立博物館蔵。左は群馬県立歴史博物館企画展示時に撮影。
埴輪 挂甲武人(左)・杯を捧げる女子(右)
東京国立博物館蔵。左は群馬県立歴史博物館企画展示時に撮影。
  • 人物埴輪 10
  • 馬形埴輪 2
  • 器財埴輪(大刀か) 1
  • 円筒埴輪
  • 朝顔形埴輪

関連施設

脚注

参考文献

関連文献

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