下毛野公時 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 平安時代中期生誕 長保2年(1000年)死没 寛仁元年(1017年)[1]別名 近衛府官人「第一の者」 凡例下毛野公時時代 平安時代中期生誕 長保2年(1000年)死没 寛仁元年(1017年)[1]別名 近衛府官人「第一の者」官位 無位、随身・相撲使主君 一条天皇→三条天皇→後一条天皇藤原道長氏族 下毛野朝臣父母 父:下毛野公友、母:尾張兼時娘特記事項 童話「金太郎」のモデルとなったとされる[1]。テンプレートを表示 下毛野 公時(しもつけの の きんとき)は、平安時代中期の官人。童話「金太郎」のモデル[1]。 下毛野氏は、10世紀以降に代々下級武官を務めた氏族であった[2]。公時は近衛府の下級官人であった下毛野公友を父、尾張兼時の娘を母として長保2年(1000年)に出生した。 寛弘6年(1009年)には、近衛舎人となっており、18歳で死去するまでには番長となり、その間三条天皇の行幸に際しての歌舞(東遊)や、騎射(真手結)、相撲使を務め、併行して藤原道長の随身ともなっていた。 寛仁元年(1017年)8月24日以前に相撲使として赴いた筑紫にて死去。享年18。 伝説化 →詳細は「金太郎」を参照 存命中、近衛府官人「第一の者」と言われ、死後もその評判は衰えなかった[1]。『今昔物語集』では既に源頼光の郎党としての「公時」が見られており、伝説化の始まりと言える[1]。その後鎌倉時代から中世末期にかけ、「頼光四天王」伝説の定着により、次第に「金太郎」伝説となっていったと考えられている[1]。 系譜 父:下毛野公友[1] 母:尾張兼時の娘[1] 脚注 [脚注の使い方] 1 2 3 4 5 6 7 8 川島茂裕 1992年 pp.76-97 ↑ 世界大百科事典 第2版 参考文献 川島茂裕(著)、国立歴史民俗博物館(編)「下毛野公時と金太郎伝説の成立」『国立歴史民俗博物館研究報告 第45集 田中稔教授追悼号』、国立歴史民俗博物館、1992年12月、NCID AN00377607。 “【下毛野氏(しもつけぬうじ)】” ((日本語)). 世界大百科事典 第2版 (1998年10月). 2014年7月25日閲覧。 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集 Related Articles