下道色夫多 From Wikipedia, the free encyclopedia 下道 色夫多(しもつみち の しこぶた、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。姓は臣のち朝臣。官位は従五位下・備後介。 『新撰姓氏録』「左京皇別」によると、「下道朝臣」は「吉備朝臣」と同祖で、稚武彦命の孫吉備武彦命の後であるとなっている。 称徳朝の天平神護元年(765年)正月7日、改元とともに日置蓑麻呂・多治比長野・多治比乙麻呂・中臣習宜山守・弓削秋麻呂・弓削牛養らとともに外従五位下から内位の従五位下に昇叙[1]。 天平神護2年(766年)5月、主殿助の色夫多に朝臣姓が与えられている[2]。 天平神護3年5月、備後介に任じられる[3]。光仁朝以降の事績については知られていない。 官歴 『続日本紀』による。 時期不詳:外従五位下 天平神護元年(765年)正月7日:従五位下(内位) 天平神護2年(766年)臣から朝臣に改姓。 天平神護3年(767年)5月9日:10月2日:備後介 脚注 [脚注の使い方] ↑ 『続日本紀』称徳天皇 天平神護元年正月7日条 ↑ 『続日本紀』称徳天皇 天平神護2年5月9日条 ↑ 『続日本紀』称徳天皇 天平神護3年5月25日条 参考文献 『続日本紀』4 新日本古典文学大系15 岩波書店、1995年 宇治谷孟『続日本紀 (中)』講談社学術文庫、1992年 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集 Related Articles