与儀タンクファーム
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- 基地名: 那覇第2貯油施設
- 所在地: 沖縄県那覇市古波蔵、与儀、国場
- 土地の強制接収: 1952年
- 返還日: 1972年5月14日
- 返還面積: 196千m2[1]
与儀タンクファーム
1945年、那覇は沖縄戦後の米軍の全面占領下で、1952年まで段階的に那覇が解放されるまで立入禁止区域となっていたため、旧真和志村など周辺地域は人口密集地となった。さらに牧港住宅地区建設のため、真和志村 銘苅・安謝・天久一帯が強制接収され (銃剣とブルドーザー)、与儀周辺はさらなる過密状態となった。
住宅密集地のただなかにある大型貯油タンク群の存在は周辺住民の脅威となっており、長年の撤去運動の結果、沖縄返還の前日に駆け込み全返還された[2]。
- 1952年、米軍基地の恒久化が図られていく中で、那覇港湾施設 (那覇軍港) から嘉手納飛行場までの航空燃料の中継地と石油貯蔵施設の建設のため与儀周辺が強制接収され、那覇第2貯油施設が建設される。
- 1970年、土地の返還を求め「与儀ガソリンタンク撤去促進協議会」が発足[3]。
- 1972年5月14日、沖縄返還 (15日) の前日に駆け込み全返還される。同年、与儀ガソリンタンクの撤去作業が開始される[3]。
- 1973年~1997年、返還跡地に「与儀地区土地区画整理事業」が適用され、現在は主に住宅用地として利用されている。
- 1986年、那覇港湾施設内の貯油施設、約206,000 ㎡が返還され、陸上自衛隊施設となる[4]。
