与那城菊太郎
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粟国島字東生まれ[2]。1882年(明治15年)6月10日粟国島大掟心得、1884年(明治17年)3月26日同島首里大屋子、1886年(明治19年)3月30日同島夫地頭、1889年(明治21年)6月10日同島仮主取、1892年(明治24年)4月8日同島総山当、1895年(明治27年)5月9日同島総耕作当、1897年(明治30年)3月25日同地頭代、同年4月1日同島長、1908年(明治41年)4月1日粟国村長、大正4年(1915年)4月23日辞職[2][3]。この他、郵便局長も歴任[4]。沖縄県で標準語を解せる最古老と呼ばれたときもあった[3]。
与那城は自身の家で農作業のため下男を雇っていたが、その者から別の粟国村民のところで仕事をさせて欲しいと言われたため1日だけ許可を出すも帰ってきたのは3日後の夕方で酔っ払って現れ、あなたが働けばみなが楽になると与那城に言った後、1917年(大正6年)5月18日午後3時過ぎ、下男が先の住民の畑で再びサトウキビを植えていることを聞いて与那城は怒り、その同村字北祖武久原の畑に行って下男に他人のところで働くなら借金の9円50銭を利子をつけて10日以内に返済するよう迫ると、相手はそのときも酔っており、那覇で働いて返すと言ったことに与那城は更に怒り、下男の顔や首を殴る蹴るの暴行して相手は首の怪我から蜂窩織炎を併発、同月26日午前7時に死亡させる傷害致死事件を起こし、那覇地方裁判所から懲役5年の実刑判決を受ける[1][4][5]。これにより勲八等白色桐葉章を褫奪された[6][7]。裁判では検事から過去の犯罪について訊かれた与那城は村長時代に公金700円を使い込んで自身の財産を売り払って補填したことが明かされている[4]。
栄典
- 勲章等
- 1906年(明治39年)4月1日 - 勲八等白色桐葉章受章者(明治三十七八年事件の功)[6]
- 1918年(大正7年)1月18日 - 褫奪[7]
脚注
- 1 2 「粟国前村長の傷害致死事件予審決定」『琉球新報』。2026年2月19日閲覧。
- 1 2 3 “與那城菊太郎|その他”. 粟国アーカイブス (n.d.). 2026年2月19日閲覧。
- 1 2 3 河村只雄『続南方文化の探究 薩南・琉球の島々』創元社、1942年。
- 1 2 3 「粟国前村長公判 十円の前借金の為に雇人を殺す」『琉球新報』。2026年2月19日閲覧。
- ↑ 「粟国前村長の判決 懲役五ヶ年」『琉球新報』。2026年2月19日閲覧。
- 1 2 “叙任及辞令”. 官報 (大蔵省印刷局): p. 4. (1908年4月8日). https://dl.ndl.go.jp/pid/2950778/1/16?page=right 2026年2月19日閲覧。
- 1 2 “叙任及辞令”. 官報 (大蔵省印刷局): p. 350. (1918年10月16日). https://dl.ndl.go.jp/pid/2953976/1/4?page=right 2026年2月19日閲覧。
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