世戸口政長
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明暦2年(1656年)、筑後柳河藩士・世戸口政春の次男として生まれる[1]。母は利光彦兵衛の娘[1]。
寛文12年(1672年)、17歳で3代藩主・立花鑑虎の小姓として召し出されて並の扶持を与えられ、元服して中奥御番を務める[1]。その後、御広間御番を務めて、近習や外様と共に江戸と柳河の往来を約20年に渡って務めたが、その約20年の内に御鳥見役も2年務めている[1]。
元禄10年(1697年)、政長の病により、15歳になった嫡男・政矩が御広間代番を命じられる[1]。
正徳3年(1713年)に小廻り役と御鳥見加役に任じられたが、享保3年(1718年)に小廻り役を免じられ、享保7年(1722年)8月には御鳥見加役も免じられて再び御広間御番に任じられている[1]。
享保8年(1723年)、各藩士たちに対して系譜や文書類の提出が命じられ、政長も自身の経歴等を記した覚書を提出した[1]。
没年は不明。