世界オープンタッグ選手権
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参加チーム
参加9チーム[1]
- ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田◆全日本プロレス代表
- ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク(ザ・ファンクス)◆アメリカ代表
- アブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク(史上最凶悪コンビ)◆アフリカ・中近東代表
- 大木金太郎&キム・ドク(韓国師弟コンビ)◆韓国代表
- ラッシャー木村&グレート草津◆国際プロレス代表
- ビル・ロビンソン&ホースト・ホフマン◆ヨーロッパ代表
- ザ・デストロイヤー&テキサス・レッド◆マスクマン代表
- 高千穂明久&マイティ井上◆全日本プロレス・国際プロレス連合軍
- 天龍&ロッキー羽田◆全日本プロレス推薦出場
- 木村&草津と井上は当時全日本と交流戦を行っていた国際プロレスからの参加。「オープン」という名称には1975年のオープン選手権同様、新日本プロレスも含めた他団体に門戸を開放する意味があったが、2年前と同じく新日本からの参加はなかった。また、グリーンボーイ同然だった天龍&羽田には参加資格を疑問視する声もあった(天龍源一郎は大相撲時代の四股名と同じく「天龍」のみのリングネームで参加[1])。
- 過去に日本プロレスが開催した「NWAタッグ・リーグ戦」では、「馬場と猪木が組めば優勝するのは明らかで優勝争いが面白くなくなる」という理由(当時、NTVと並行して日本プロレスの試合を放送していたNETでは契約上、馬場の試合を放映できないという事情もあった)で馬場&猪木のBI砲を分断し、かつ日本人同士の対戦も回避したためリーグ戦が盛り上がらなかったという経緯があった。このことからオープン・タッグ選手権では馬場&鶴田に匹敵する強豪チームを揃えて豪華な顔合わせによる総当たりリーグ戦を展開することで人気を集めた。
- 犬猿の間柄だったブッチャー&シークのタッグ結成を仲介したとされるジム・デュランも来日[3]。彼らのマネージャーとしてセコンドを務めることもあった。
展開
12月2日に後楽園ホールで開会式と開幕戦を行い、12月15日の蔵前国技館で最終戦が行われた。ファンクスVSブッチャー&シークの最終試合を残した時点で各チームの勝ち点は
- 馬場&鶴田13点
- ファンクス12点
- ブッチャー&シーク12点
となっており、優勝決定は最終試合で、2位タイに並んだファンクスとブッチャー&シークによる直接対決の結果次第となった。左記の試合においての勝利チームが勝ち点14になって優勝。しかし引き分けとなった場合は
- リングアウトによるものは負けと同じ扱いで勝ち点なしとなり馬場&鶴田の優勝。
- 時間切れによるものは双方勝ち点1を獲得となるので、馬場&鶴田を含め3チームが勝ち点13で並ぶことになり、優勝決定巴戦に持ち越されるところだった。