両角政人
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長野県諏訪郡宮川村(現茅野市)出身[4][5]。旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校の前身)から早稲田大学政治経済学部に進み、1923年に体育会スケート部を創設し、第1回の学生選手権大会の組織などにあたり、1925年には日本学生氷上競技連盟を設立した[4][5]。また、大学時代に学生新聞の編集に参画し[4]、1926年に政治学科を卒業すると[2]、報知新聞に入社し、運動部の設置に関わった[4]。新聞記者として、報知新聞運動部長、読売新聞機報部長などを歴任するかたわら[1][2][5]、1929年に発足した日本スケート連盟の運営に永く関わり[1]、1937年以降、永く理事長を務めた[2]。戦後は、1945年に、秋山慶幸らとともに日刊スポーツの設立に参加し、編集局長を務めた[4][5]。
1972年札幌オリンピックの招致に尽力し[1]、札幌五輪冬季大会組織委員会東京事務所長を務めた[4]。
1972年に日本アイスホッケー連盟が結成された際には、初代会長となり、1973年に堤義明が会長に迎えられて以降は、1985年まで、副会長を務めた[6]。