並木正三 (初代)
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道頓堀の芝居茶屋和泉屋正兵衛の子として、大坂に生まれる[4]。幼少から芝居に親しみ、14歳か15歳の時、『若水千歳狐』で水船の仕掛けを考案する[4]。1749年(寛延2年)、大西庄三の名で『男作養老滝』を製作、同年11月、大西の芝居に転じ、泉屋正三と改称して立作者となった[4]。1751年(寛永4年)、並木宗輔の門に入り、豊竹座で『日蓮聖人御法海』『一谷嫩軍記』の執筆に携わる[4]。その後、角の居芝居の作者を兼ね、宗輔の没後は歌舞伎作者に専念した[4]。1773年(安永2年)に急死[4]。
原作を利用しつつ奇想天外な改作を得意とし、訳物の名人と言われた[4]。また、1758年(宝暦8年)『三十石艠始』で回り舞台を角座に設けたほか、引き道具やがんどう返し、宙乗りといった舞台仕掛けを考案して[3]歌舞伎独自の演劇性を明確化、浄瑠璃と歌舞伎の地位を逆転させ、上方歌舞伎の全盛期をもたらした[4]。現在の歌舞伎のエンターティメント的要素の多くは、正三の作品にすでに含まれていたと評される[3]。
作品
- 『幼稚子敵討』1753年(宝暦3年)7月
- 『けいせい天羽衣』1753年(宝暦3年)12月
- 『天竺徳兵衛聞書往来』1757年(宝暦7年)正月
- 『三十石艠始』1758年(宝暦8年)12月
- 『霧太郎天狗酒醼』1761年(宝暦11年)正月
- 『宿無団七時雨傘』1768年(明和5年)7月
- 『桑名屋徳蔵入船物語』1770年(明和7年)12月
- 『三千世界商往来』1772年(安永元年)正月
脚注
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- ↑ 「並木正三(なみきしょうざ)」『日本大百科全書(ニッポニカ)』。https://kotobank.jp/word/%E4%B8%A6%E6%9C%A8%E6%AD%A3%E4%B8%89%EF%BC%88%E3%81%AA%E3%81%BF%E3%81%8D%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%96%EF%BC%89。コトバンクより2021年2月4日閲覧。
- ↑ 「並木正三」『デジタル大辞泉, 百科事典マイペディア, 世界大百科事典 第2版, 精選版 日本国語大辞典, 世界大百科事典内言及』。https://kotobank.jp/word/%E4%B8%A6%E6%9C%A8%E6%AD%A3%E4%B8%89。コトバンクより2021年2月4日閲覧。
- 1 2 3 “初代並木正三”. 歌舞伎用語案内. 歌舞伎 on the web. 2021年5月18日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 岡本, 勝、雲英, 末雄 編『近世文学研究事典』(新版)おうふう、2006年2月、438頁。ASIN 4273033844。ISBN 4-273-03384-4。 NCID BA76019429。OCLC 1176090971。全国書誌番号:21078334。
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